2014年7月31日木曜日

マインドフルな7月31日

たとえば知り合いの子どもが絵を描いていたとします。
たとえばライオンの絵です。
大人は子どもが描いた絵を見ると、「上手だね」とか「ライオンってもっと足が立派だよ」とか、ほめたりけなしたり、アドバイスしようとします。
いずれも自分のほうが立場が上だと無意識に思っていて、そのような位置からものをいうからです。
たとえ相手が子どもでも尊重するには、そのような位置からではなく、おなじ位置から、「きみはライオンが好きなのかな?」とか「ここにこういう色を使ったのは自分らしく描きたかったからかな?」とか「この絵をみてとってもいさましい気持ちになってきたよ」と共感の質問を向けたり、自分のなかに起こっていることを伝えたりします。
そうすれば相手もあなたにきっと、思いがけないことを話してくれるでしょう。
それは相手が大人でもおなじことです。

マインドフルの練習(217)
呼吸をするとき、胸の肋骨の下のほうにぴったりと掌をあててみましょう。
息を吐くと肋骨は下向しすぼまります。
息を吸うと肋骨は上向し広がります。
その動きをもたらしている筋肉を感じながら、何度か呼吸と肋骨の動きに目を向けてみましょう。

2014年7月30日水曜日

マインドフルな7月30日

だれかを「ほめる」にせよ、「けなす」にせよ、いずれの態度もこちらを相手より無意識に一歩上に置こうとする心理がはたらくことがあって、注意したいものです。
とくに「ほめる」態度は、一見相手を尊重しているようでいて、そうでもないことがあります。
だれかをほめるときには、ある基準に照らしあわせて相手を「評価」する心理がはたらいていることがあり、それは自分を相手の上に置くことになります。
相手と自分の関係に「上下」を持ちこまず、ただ相手に共感し、尊重しながらつながることができるといいですね。
「ほめる」ではなく「尊重する」ときに、どのような態度になり、どのようなことばが出てくでしょうか。

マインドフルの練習(216)
蚊に刺されたとき、かきむしるのを防ぐために、刺されて腫れた場所を爪でギュッと押さえることがありますね。
バッテン印をつけたりします。
蚊に刺された場所があればそこを、なければ腕のどこか適当な場所に、わざと爪を押しつけて跡を作ってみてください。
さて、その跡は時間がたつとどのようになりますか? なにか変化はありますか?

2014年7月29日火曜日

マインドフルな7月29日

だれもがだれかの役に立ちたい、人に貢献したい、という気持ちがあります。
自分がだれかの役に立っていると感じるとき、充実した感じがしますし、それによって生きがいをおぼえることもあります。
人は社会的な動物であり、だれかの役に立ちたいという本能といってもいい習性を持っていることで、おたがいにつながり、助けあう社会を作ることで、生物学的にはひよわな個体を生きのびさせてきたのです。
しかし、大脳が発達したおかげで、自分の純粋な「だれかの役に立ちたい」という動機から離れて、「人の顔色をうかがう」という態度で自分の行動を規定してしまうことがあります。
それでは自分を生かしていることにはなりません。

マインドフルの練習(215)
素材はなんでもいいのですが、ビー玉のような丸いものを指でつまんでみます。
親指と人差し指のあいだにはさんで、すこし転がすように動かしてみます。
どんな感触ですか?
つぎに、目をとじておなじことをやってみます。
どんな感じですか? さっきと感じは変わりましたか?
目をあけたり、閉じたりして、何度かやってみてください。

2014年7月28日月曜日

マインドフルな7月28日

「空気を読む」という言葉があります。
また、「人の顔色をうかがう」という言葉もあります。
どちらも他人(たち)の要求を推測してこちらの行動を合わせようとする行為です。
だれしも人の機嫌をそこないたくない、という気持ちがあり、不機嫌な人がいればそれが自分のせいでないことを願ったり、なんとか機嫌を取れないかとかんがえたりしてしまいますが、それは自分の安心や安全を守ろうとするためです。
他人にたいしてなにかしようとするなら、自分の安心や安全を守るためではなく、相手に貢献したいという気持ちに積極的につながっておこなったほうが、よい結果が生まれるかもしれません。
なにか私にできることはありますか? というふうに。

マインドフルの練習(214)
椅子にすわります。
上体を前屈みに倒し、背中を丸めた状態で息を吐ききり、それからまた吸いきってみます。
つぎに、身体を起こし、自然に背中がのびた状態で、おなじように息を吐ききり、吸いきってみます。
最後に背中をピンと「気をつけ」の姿勢でのばして反り返らせた状態で、息を吐ききり、吸いきってみます。
それぞれどんな感じがしますか?

2014年7月27日日曜日

マインドフルな7月27日

「プラス思考」という考え方があります。
ものごとにはいろいろなとらえかたがあり、なにか自分の身に起こったこともプラスな側面からとらえよう、というものです。
これ自体はとてもよい考え方だと思うんですが、「プラス思考をしなければならない」というかんがえにとらわれてしまう人もいます。
なんでもプラスの側面からとらえようとして、ものごとの本質を見誤ってしまうことがあります。
ものごとにはプラスの側面もあればマイナスの側面もあり、またさまざまな側面があります。
こう見なければならない、という思考の強制を手放し、柔軟で客観的な見方ができるといいですね。

マインドフルの練習(213)
だれもがいつもまばたきをしています。
しかし、まばたきはたいてい無意識に、自分でも気がつかないうちにしています。
それこそ一分間に何度もまばたきをして、眼球の表面が乾かないようにしています。
ちょっと意識的にまばたきをしてみましょう。
「一、二、三、四、五」とゆっくり数え、ゆっくりとまばたき。
また数えてゆっくりまばたき。
それを何度かくりかえしてみましょう。

2014年7月26日土曜日

マインドフルな7月26日

「前向きに生きなさい」というようなことをよくいわれます。
うじうじしてないで勇気をもって前に踏みだしなさい、振り返ってばかりいないで先のことをかんがえなさい、など。
私たちも無意識に「前向きにならなきゃ」と思って、なにかあると自分を奮い立たせようとするようなときがあります。
「気合いだ!」みたいな言葉にもそれが象徴されていますね。
無理に自分を奮い立たせてなにかやろうとしたとき、はたして自分の能力は最大限に発揮されるでしょうか。
なにか特別なイメージにむかって自分を押し進めるのではなく、ただマインドフルに自分自身のありようを全開にして、いまこの瞬間のおこないに集中できればいいのではないでしょうか。

マインドフルの練習(212)
あえて口をあけて、口呼吸をしてみます。
息を吐くとき、身体で暖められた空気が肺のなかから舌の上をとおって、口から外に出ていきます。
息を吸うとき、体温よりは低い空気がはいってきて、舌を乾かしながら肺へとはいっていきます。
夏場の猛暑の日などは、ひょっとして体温より気温が高いことがあるかもしれませんね。
それでも気化熱で舌は冷たく感じるでしょう。
そういったようすを観察してみます。

2014年7月25日金曜日

マインドフルな7月25日

「リラックスしている」というのは、無駄な動きはないけれど脱力しきっているわけではなく、そこからいつでも動ける状態のことです。
そのとき、自分自身のいまの瞬間に気づけていて、思考や妄想を手放し、ただ感じつづけていることが必要です。
つまり、マインドフルネスの状態であるということです。
思考を手放し、ただ自分自身のいまここにつながり、いつでも動けるような状態にあること、これがもっとも理想的なリラックスであり、それは野生動物が休息している姿にも似ています。

マインドフルの練習(211)
歩いているとき、人差し指をぴんと伸ばして地面のほうに向けてみてください。
両手でもいいですし、片手がふさがっていたら右手でも左手でもかまいません。
伸ばした人差し指の指先を意識します。
歩きながら腕を振るにつれ、指先は弧を描いて軌道を作ります。
見る必要はありません、その軌道をただ感じながら、しばらく歩いてみてください。

2014年7月24日木曜日

マインドフルな7月24日

「リラックスする」というのはどのような状態のことをいうのでしょうか。
「リラックスしてください」といわれると、たいていの人は身体の力をゆるめようとします。
脱力した状態をリラックスというのでしょうか。
リラックスするのは休息するためではなく、いつでもなにかに対応したり動くために自分の能力を最大に発揮できるようにしておくことです。
たとえば武術では、いつ敵が襲ってきても身を守ったり、相手を倒したりできるよように、リラックスして力をため、またすぐに動けるようにします。
こうやってかんがえてみると、リラックスするというのはマインドフルネスと関係がありそうです。

マインドフルの練習(210)
氷を口にふくんでみます。
ガリガリとかんで食べてしまわずに、舌の上において自然にとけるにまかせます。
しばらくたったら、今度は氷を舌の下にいれてみます。
つづいて、右の頬に、それから左の頬に。
口のなかのいろいろな場所で氷の冷たさや、それがとける感じを味わってみます。

2014年7月23日水曜日

マインドフルな7月23日

ある特定の確率でしか成功しないものごとがあるとします。
たとえばお祭の輪投げ。
それを成功させるためにどんなことをしますか?
成功イメージを思いうかべる? ストレッチして身体をほぐす? おまじないをとなえる?
人が見ていたり、家族から「成功させてね」と期待をかけられたりすると、プレッシャーになってかえって成功の確率が低くなったりします。
そういうときはマインドフルネスが役に立ちます。
あなたはただいまこの瞬間のここにいて、ただ自分が持っている能力を集中して発揮させるだけです。

マインドフルの練習(209)
ゴミ箱をすこし離れた場所、数メートルくらい先に置きます。
そこにむかって丸めた紙くずを投げいれてみましょう。
どのくらいの確率で成功しますか?
だいたいの確率がわかったら、今度は自分の呼吸につながり、マインドフルネスを意識しておなじことをおこなってみましょう。
確率は変わりました?

2014年7月22日火曜日

マインドフルな7月22日

あなたはひと前でなにかするとき、緊張しやすいたちですか? それともあまり緊張はしませんか?
ところで緊張はなぜ起きるのでしょう。
自分がちゃんと能力を発揮して準備や練習してきたことを予定どおりできるかどうか、そのことが心配になったり、他人の評価が気になって、緊張は起こります。
つまり、評価のものさしを自分の外側に置いてそれを推し量るとき、緊張が生まれるのです。
自分のやりたいこと、表現したいこと、伝えたいこと、それらにしっかりとつながってなにごとかをおこなうとき、緊張は起きにくく、また同時に充分に能力を発揮できる可能性が高くなります。

マインドフルの練習(208)
立っているときに、まず両足の裏をしっかりと感じ、地面を意識します。
それからおもむろにつま先立ちをしてみます。
接地面積がせまくなり、バランスを取りにくくなります。
そのために、足がこきざみに動いたり、身体のバランスを取るための筋肉がいそがしく動いたりします。
バランスを取るために自分の身体のどこがどのように動いているか、できるだけ緻密に観察してみます。

2014年7月21日月曜日

マインドフルな7月21日

知りあいの子どもがなにか特技を見せてくれたり、あるいはとてもかわいらしかったりしたとき、なにげなく「将来が楽しみですね」ということがあります。
たいていは社交辞令なんですが、よくかんがえてみると、子どもが特技にひいでたり、容姿がととのっていたりすることで、親にとってなにが楽しみなんでしょうね。
子どもが人よりひいでて成長することをどの親も望むわけですが、そのことによって自分のなにが満足するのでしょう。
自分の人生の満足を子どもに依存する親も、世間にはすくなくないように見受けられます。

マインドフルの練習(207)
すこし厚くスライスしたキュウリをかじってみましょう。
まずはなにげなく前歯でぱりっとかじると思いますが、そのとき、前歯のどのあたりを使っていますか?
まんなかですか? 右のほうですか? それとも左のほうですか?
そのあと、かじったキュウリを奥歯でかむと思いますが、右の奥歯ですか? それとも左の奥歯ですか?

2014年7月20日日曜日

マインドフルな7月20日

たしかにだれかの悪口をいいあうと楽しいことがあります。
「溜飲をさげる」というやつですね。
しかし、なぜその場にいない人のことを悪くいうと楽しかったり、スカッとしたりするんでしょうか。
ある人にたいしていいたいことが自分のなかにたまっていて、それを口に出せずにいた、つまり表現したかったのにできなかった、それを人に聞いてもらうことができた。
また、聞いてもらえた人とのつながりを感じられた。
こういったことでしょうか。
だれかへの悪口、とくに陰口は、回りまわって当人の耳にはいるととても傷つけることになるし、やっかいなトラブルになることもあります。

マインドフルの練習(206)
手を洗ったあと、濡れた手をふかず、そのままにします。
手を振って水滴をはらうこともしません。
指を下にむけて、指先から水滴が流れおちるようすと感触を観察してみます。
指先に水滴がまるくレンズのような形になってたまり、まわりの風景を写しこんだりします。
それが指先をはなれ、下に落ちていきます。
水がはなれて落ちる瞬間の指先にはどんな感触がありますか?

2014年7月19日土曜日

マインドフルな7月19日

口をひらけば自分の自慢ばかりする人がいます。
ちょっとうんざりしてしまいがちですが、そういうときこそマインドフルネスが役にたちます。
いまこの瞬間の自分自身と相手のありように目をむけ、相手のなかにどんなニーズがあるのか推測してみます。
相手がなにをいっているのか、ではなく、相手はどのようなニーズがあってそのような自慢話をしているのかを推測してみるのです。
人から尊重されていなくてそれを求めるがゆえに自分をことさらえらく見せようとしているのか、それともなにかサポートを必要としているのか。
ただ相手のニーズを推測してみるだけで、こちらのうんざりした気持ちは消えていくことがわかるでしょう。

マインドフルの練習(205)
手を洗ったあと、濡れた手をタオルでふきます。
そのとき、かるくふくだけにとどめておきます。
手はまだすこし濡れていますね。
それを目のまえにかざして、自然に乾燥させてみましょう。
水分が蒸発してすずしい感じがしますか?
手をちょっと振ってみましょう。
さらにすずしい感じが強まるでしょうか?

2014年7月18日金曜日

マインドフルな7月18日

人はなぜ、だれかに気にいられたい、いい人だと思われたい、という願望を持つのでしょうか。
だれかに気にいられる、というのは、なにかのニーズを満たすための手段のひとつです。
相手にいい人だと思われたい、というのは、なにかのニーズを満たすための手段のひとつです。
では、なんのニーズを満たそうとしているんでしょうか。
たとえば、自分を理解してもらいたい、受け入れてもらいたい、話を聞いてもらいたい、といったつながりのニーズがあるために、気にいられるようとするのでしょうか。
自分を認めてもらいたい、尊重してもらいたい、影響力を持ちたい、などのニーズを満たすために、いい人だと思われる願望を持つのでしょうか。
自分のなかをちょっとのぞいてみましょう。

マインドフルの練習(204)
手紙を書いてみましょう。
みじかい手紙でかまいません、ほんの数行でいいのです。
手紙を書く相手は、一時間後の自分です。
いま、ここにいる自分が、一時間後の自分についてどんなことを想像するのか、どんなふうになっていてほしいのか、なにをしているのか、いまの瞬間の自分のニーズをしっかりと見ながら書いてみましょう。

2014年7月17日木曜日

マインドフルな7月17日

人はとかく「いい人だと思われたい」という願望を持ってしまいます。
とくに相手が自分の好きな人だったり、信頼関係を持ちたい人だったりすると、そのような願望がつい強くなってしまいます。
「いい人と思われたい」と思っているとき、相手に気にいられようとしてあれこれふるまうことになります。
そのとき、一見自分のニーズにつながっているように見えますが、じつはつながっていません。
相手に気に入られる、相手からいい人だと思われることで、自分のなんのニーズが満たされるのか、そこのところをきちんと見極め、つながる必要があります。
ひょっとするとあなたのふるまいは変わるかもしれません。

マインドフルの練習(203)
手紙を書いてみましょう。
みじかい手紙でかまいません、ほんの数行でいいのです。
手紙を書く相手は、一時間前の自分です。
いま、ここにいる自分が、一時間前の自分についてどう思っているのか、どんなことを感じるのか、みじかい手紙を書いてみます。

2014年7月16日水曜日

マインドフルな7月16日

誕生日が来ると、よく「またひとつ歳を取ってしまった」といいます。
しかし、よくかんがえてみると、誕生日が来たから歳を取ったわけではありません。
年齢表記という社会制度上では、たしかに年齢はひとつ数字を加えたかもしれませんが、私たちは日々、刻一刻と歳を重ねているわけです。
誕生日のたびに一喜一憂するのではなく、日々、刻一刻と丁寧に、大切に時間を重ね、マインドフルにすごしたいものです。

マインドフルの練習(202)
胸の前で腕を組んでみましょう。
ちょっとえらそうな感じになりますが、それは気にしないでおきます。
自然に腕を組んだ感じをまず味わってみます。
それからおもむろに腕を組みかえてみてください。
右腕が上だったら下に、左腕が上だったら下に、組み方を逆にしてみます。
どんな感じがするでしょうか。
変な感じですか? 新鮮な感じですか? なにか気づきがありますか?

2014年7月15日火曜日

マインドフルな7月15日

とてもささいな失敗なのに、大げさに騒いだり、声をあげてしまう人がいます。
たとえば、お茶をこぼした、とか。
あまりにその声が大きいと、こちらはびっくりし、驚かされたことにムカついたり、「なんでそんなおおげさな声をあげるんだ」と非難したくなります。
こちらの「安全」のニーズがおびやかされたんでしょうか。
相手はたしかに「びっくりした」ということもあるかもしれませんが、ひょっとしてこちらになにかを伝えよう、わかってもらおうとして声をあげたのかもしれません。
その相手の気持ちによりそってみてはいかがでしょう。

マインドフルの練習(201)
右利きの人は左手で、左利きの人は右手で、自分の名前を紙に書いてみましょう。
さて、どんな感じですか?
うまく書けましたか? それとも思うように書けなかったですか?
つづいて利き手でいつものように書いてみます。
それはどのように動いていましたか? あなたはそのようにうまく書けることをどのように獲得してきたと思いますか?

2014年7月14日月曜日

マインドフルな7月14日

自分の人生の価値を他人の評価が決める、などというシステムは苦しいものです。
そこから抜け出して、もうすこし楽になってみてはいかがでしょう。
自分の価値は自分が決める、あるいは自分の価値がどうだとかああだとか決めたりかんがえたりするのをやめてみる。
「私」はいまここにこうやって生きており、それ自体がすでに自然なことであると同時に、奇跡的なことでもあるのです。
ただ「私」はいまここに自分が生きているという「機能」のすべてを瞬間瞬間使いつくして、自分自身の命をまっとうしていけばいいんじゃないでしょうか。

マインドフルの練習(200)
熱帯魚や金魚の水槽をながめるのは楽しいものです。
商店のディスプレイや、個人宅に置いてある水槽を見かけたら、ガラスにできるだけ顔を近づけてなかを観察してみます。
ついつい、人の基準にあてはめて、狭くないのだろうか、毎日なにをかんがえてすごしているんだろうか、などと思ってしまいますが、そういうことをかんがえずに自分も魚になったようにただ水槽のなかの光景を味わってみます。

2014年7月13日日曜日

マインドフルな7月13日

私たちはいわゆる「評価社会」に生きています。
なにごとをおこなってもそれはなんらかの基準によって「評価」され、「よい/わるい」「価値がある/ない」という判断をくだされます。
しかし、他者や社会に評価されることを自分の生きることの価値基準にすると、かなりつらいことになります。
他者の評価がなければ生きていられなくなるからです。
そして他者の評価はさまざまであり、自分にとってよいときもあればわるいときもあります。
「承認欲求」というものがはびこり、これに苦しんでいる人が多くいますが、すなわちこれは他者からの評価を自分の価値基準にしてしまうからです。

マインドフルの練習(199)
食事をしたあと、食器を洗ったり片付けたりするのがめんどうだと感じることはありませんか?
「片付ける」と思うからめんどうなのであって、「準備する」と思えば楽しいのです。
食べたあとの食器を洗ったり片付けたりするとき、マインドフルをこころがけ、つぎの食事のための準備をしていると思っておこなってみましょう。

2014年7月12日土曜日

マインドフルな7月12日

家事や仕事や約束ごとなど、とてもマメできちんとしていた人が、なぜか突然ルーズになることがあります。
ゴミ出し程度の家事をめんどくさがり、ささいなミスを仕事では連発し、約束したことも忘れてしまう。
そういうとき、その人になにが起きているのか、よく注意してみる必要があります。
ひょっとしたらそれは、あなたに対するその人からのサインである可能性もあります。
自分をもっとかまってもらいたくて、尊重してもらいたくて、大事にあつかってもらいたくて、そのような態度を無意識にとってしまっているのかもしれません。

マインドフルの練習(198)
じめじめした気候や湿気はいやなものです。
洗濯物は乾かないし、気温がさほど高くないのに汗がじとじと流れます。
しかし、湿気を喜んでいる身体の部分もあります。
それは呼吸器官です。
呼吸器官は乾燥が苦手で、湿度が好きなのです。
ゆっくり呼吸し、呼吸器官が湿度を喜んでいるようすを観察してみましょう。

2014年7月11日金曜日

マインドフルな7月11日

失敗することをあらかじめ予測してものごとをただ「いまここ」の自分につながっておこなうマインドフルネスは、その状態にはいること自体におそれを感じる人もいます。
たしかに、マインドフルネスをこころみることはすこし勇気が必要かもしれません。
私たちはあらかじめものごとを予測し、ものごとがそのとおりに進むことを期待する習慣を身につけてしまっていて、本当はものごとは予測不可能であるという事実と直面することに無意識のおそれを持っています。
しかし、マインドフルネスへのおそれを思うことそれ自体が、マインドレスなこころの動きであり、人特有の記憶や想像の産物なのです。

マインドフルの練習(197)
なにかの物音に気づいたら、そちらに身体を向けてみましょう。
物音はなんでもいいです、音楽でも人の声でも電車の走る音でも、風の音でもヘリコプターが飛んでいる音でも。
そちらに身体をまっすぐ向け、音を浴びるように感じてみます。
つづいて、今度は音に背中を向け、背中から浴びてみます。
なにかちがいはありますか? 感じ方は変わりますか?

2014年7月10日木曜日

マインドフルな7月10日

マインドフルに全身を傾注してものごとをおこなっても、失敗することはあります。
たいていは残念がったり、後悔したり、落ちこんだりします。
そういうときも、引きつづきマインドフルをこころがけ、いまこの瞬間の「満たされないニーズはなんだろう」と見ます。
自分のニーズにつながれば、後悔したり落ちこんだりするのではなく、ただそのニーズを満たす方法はないかかんがえ、それに向かっていまここから行動をはじめればいいのです。
その連続で成長していきます。

マインドフルの練習(196)
星が出ている夜空に出会ったら、空を見上げてみます。
夜も空が明るい都会だとなかなかむずかしいかもしれませんが、それでもときには星が見えることがあります。
まず、見える星をしっかりと見てみます。
それから星から視点をすこしずらし、空の別の部分を見てみます。
そのとき、視界のまんなかからずれた星の光はまだ見えるはずです。
その光は強まっていますか? 弱まっていますか?

2014年7月9日水曜日

マインドフルな7月9日

マインドフルネスは「失敗をおそれて立ちすくんでしまうこと」から私たちを開放します。
失敗へのおそれは、過去の経験と、それを予測することの想像から生まれます。
記憶を反芻するでもなく、まだ起こってもいないことを想像するでもなく、ただいまこの瞬間の自分自身のありようにつながり、ただ自分のベストのおこないを試みます。
そこにはおそれもためらいもありません。
むしろ、自分の命を全力で表現できる喜びがあるかもしれません。
おこないの結果として失敗することはもちろんあるでしょうが、そこに後悔はあるでしょうか。

マインドフルの練習(195)
どこかに立ちどまるなり、座るなりして、できるだけ身体を動かさないように静止します。
自分の呼吸に意識を向けます。
それから顔を前に向け、どこか一点に視点を起きます。
そこから視点を動かさないようにして、その周辺になにが見えるのかを観察してみます。
つまり、周辺視野の観察です。
呼吸からは離れないように気をつけてください。

2014年7月8日火曜日

マインドフルな7月8日

私たちには失敗をおそれる気持ちがあります。
できれば失敗はしたくありません。
しかし、失敗には多くの学びのチャンスがあります。
学びのチャンスという意味では、成功より失敗のほうがずっと多いかもしれません。
だから、失敗はおそれる必要はないのです。
失敗したらそこからなにを学ぶことができるのか、成功するためのヒントがそこに発見できるかもしれないことを積極的に喜ぶこともできます。

マインドフルの練習(193)
片手を胸の前にかざし「バイバイ」をするときのように左右にぶらぶらと振ってみます。
できるだけ力を抜いて大きく振ると、たぶん手首よりすこし上のあたりを支点として腕全体がブルブルと揺れると思います。
そのとき、身体のほうや、足の裏のようすも観察してみます。
手の振れに応じて身体全体が呼応して揺れ、体重がこまかく動いていることがわかりますか?

2014年7月7日月曜日

マインドフルな7月7日

明らかにいらいらしている人がそばにいると、こちらまでなんとなく落ち着かない気分になります。
ときに、そのいらいらはこちらのせいではないか、とか、自分がなんとかしてあげられないか、と脅迫観念におそわれることもあります。
なんとかしなきゃ、と思うかわりに、相手のニーズを推測してみます。
可能なら、それを相手に訊いてみます。
もし相手のニーズを聴くことができたら、相手も自分のニーズにつながり、そして自分がいま必要なことはなんなのか明確になって、具体的な行動に移せたり、あなたになにか具体的なお願いをすることができるでしょう。

マインドフルの練習(192)
10円玉でも100円玉でもかまいませんが、片方の掌の上に乗せ、もう一方の掌で蓋をします。
両手のなかに空洞を保った状態で、硬貨を振ってみます。
硬貨を2個にして、振ってみます。
手のなかでぶつかりあう音がします。
硬貨を3個、4個と増やしてみます。
音がどのように変化し、手のなかの硬貨の感触もどのように変わるか、観察してみます。

2014年7月6日日曜日

マインドフルな7月6日

仕事でもプライベートなことでも、なにか共同作業をしていてミスが発生したり予期しないことが起こったとき、けっして自分のせいにはせず人に責任を押しつけようとする人がいます(あなたもそうするかもしれません)。
いろいろ言い訳して、自分は悪くなかった、悪いのはほかの人だ、あるいは自分ではどうすることもできな原因のせいで起こってしまったことだと、責任をのがれようとします。
そういう人を非難したり、無理に責任を取らせようとしても、なにもよいことは起こりません。
自分は悪くない、といっているその人の本当の声はなんなのか、助けを求めているのか、怖れを抱いているのか、それを聞いてみようと試みてください。

マインドフルの練習(191)
冷たい水を飲んでみます。
口から喉、食道をとおって胃まで流れおちていくようすがわかりますか?
冷たい水が自分の身体のなかをとおっていく感触を、つぶさに観察してみてください。

2014年7月5日土曜日

マインドフルな7月5日

人になにかを頼まれたとき、こちらが相手の望むような方法でそれができないとイライラして、「もういい」とばかりに頼んだ仕事を取りあげられてしまうことがあります。
そういうとき、こちらは相手の期待どおりにできなかったことを後悔したり、申し訳なく思ったり、なんとか期待どおりにできないかとあせったりします。
そういうときは、まず自分のそこなわれたニーズを見て自分自身を悼んであげます。
それから相手のニーズを推測して、なにが必要だったのか訊いてみるといいでしょう。
あなたが興味を向けるのは、自分自身と相手の「ニーズ」だけでいいのです。

マインドフルの練習(190)
髪の毛に触ってみます。
それは柔らかいですか? ゴワゴワしてますか? しっとりしてますか? パサついてますか?
指先で今日のあなたの髪の毛の感触をたしかめたら、そのまま今度は、指で触られている髪の毛の感触のほうに注意を向けてみます。
触られている指の感触は心地よいですか? くすぐったいですか? 違和感はありますか?

2014年7月4日金曜日

マインドフルな7月4日

だれかがこちらをジャッジしているとき、こちらはついムッとした気分になり、その人とのつながりを断ちたくなります。
そこでちょっと踏みとどまって、相手がなぜジャッジしているのか、見てみます。
こちらをジャッジすることによって、より上の立場に立とうとしているのかもしれません。
相手がこちらより上の立場に立とうとふるまっているとき、たいていはなにか守りたいものがあるか、あるいはこちらになにかお願いしたいことがあるかのどちらかです。
相手が守ろうとしている大切なものに目を向けたり、お願いの声を聞いてあげればいいのです。

マインドフルの練習(189)
ゆっくりと鼻から息を吐いてみます。
身体のなかで暖められた空気が、肺から気道を通って鼻腔、鼻孔へと出てきます。
鼻孔はふたつありますが、その両方から空気が出てきますか?
どちらか一方にかたよりがありませんか?
鼻孔の両方からまったく均等に空気が流れでてくることはめったにないものです。
どちらか一方がより多く、もう一方はより細く、空気が流れでてくることに気づくかもしれません。

2014年7月3日木曜日

マインドフルな7月3日

なにかについて断じる(ジャッジする)と、自分がえらくなったように感じることがあります。
「これって○○○ってことだよね」
あるいは、だれかのことを断じると、自分が相手より上の立場になったように感じることがあります。
「きみって○○○だよね」
そういう気分のとき、たいてい人は自分を守ろうとしているか、相手になにかをお願いしようとしているかのどちらかです。
自分がなにを守ろうとしているのか、あるいは相手にどんなことを理解してもらいたいのか、あるいはどんなことをお願いしようとしているのか、ちょっと内側を見てみます。

マインドフルの練習(188)
静かに座り、一度自分の呼吸に注意を向けてから、耳をすまします。
あなたから一番遠いところから聞こえてくる音は、なんの音でしょう。
踏切の音? 電車の音? 鳥の鳴き声? 配達のバイクの音?
見ることはできませんが、遠くにある音の源に耳を傾けてみましょう。

2014年7月2日水曜日

マインドフルな7月2日

だれかを無自覚にジャッジしてしまう態度のことを、べつのことばで「偏見」といいます。
セクシャルマイノリティの人を見て、「あの人はゲイだから……だよね」とか「彼女はレズビアンだから……なのか」といったふうにかんがえてしまいます。
セクシャルマイノリティの人たち全体にたいしても、その個人にたいしても、ともにレッテルを貼ってジャッジする態度は偏見です。
私たちはだれしもかならずなんらかの偏見を持っているものです。
しかし、無自覚に偏見を持っていることと、自分が偏見を持っていることに気づくことは、まったくちがうありようといえるでしょう。

マインドフルの練習(187)
歩いていたり、自転車や車を運転しているとき、救急車が通過することがあります。
そんなとき、救急車のサイレンやその通り道のことに注意をうばわれてしまいます。
まずは救急車の進路を妨害しないように退避することが先ですが、それができたらつぎに、まわりの人々の反応を観察してみましょう。
迅速に反応する人、ぼんやりしている人、気づかない人、さまざまな反応があるようです。
そしてあなたはそのことに気づいています。

2014年7月1日火曜日

マインドフルな7月1日

自分と価値観が異なる人の言動にたいして腹が立つことがあります。
たとえば、こちらは「家族は大切にするもの、家族の絆こそもっとも重要」と思っているとして、そうではない価値観の人「家族もひとりひとりは所詮《しょせん》別の人間、分かり合うことなんてできないし、お互いに自由にすべき」といっている人がいて、そういう行動をとっているのを見るとカチンときます。
しかし、だからといって、こちらの価値観を相手に押しつけてもなにもいいことは起こりません。
だれかにたいして、こちらの価値観に照らし合わせて「よい/悪い」というジャッジをしないこと。
そこからまずはじめてみます。

マインドフルの練習(186)
信号が赤になって横断歩道で立ちどまったとき、さまざまなかんがえを捨て、耳をすませてみます。
車のエンジンの音、人々の声、どこかから聞こえる音楽……
信号が青になって車が停車すると、音も変化します。
その変化のなかを、足を踏みだし、横断歩道を歩いてみましょう。