2012年10月31日水曜日

10月31日


◎今日のテキスト

 杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻《みのこく》を少し回ったばかりだった。
 が、顔馴染みの番頭に案内されて、通辞、西善三郎の部屋へ通って見ると、昨日と同じように、良沢はもうとっくに来たと見え、悠然と座り込んでいた。
 玄白は、善三郎に挨拶を済すと、良沢の方を振り向きながら、
「お早う! 昨日は、失礼いたし申した」と、挨拶した。
 が、良沢は、光沢のいい総髪の頭を軽く下げただけで、その白皙な、鼻の高い、薄菊石《あばた》のある大きい顔をにこりともさせなかった。
 ――菊池寛「杉田玄白」より

◎非共感的な現代社会(一)

 もともと共感的な動物であるはずの人間が、なぜ現代社会では対立的であり、非共感的なふるまいをするのだろう。いや、これは現代にかぎらず、戦争を繰り返してきた歴史を見れば、文明発祥以来であることがわかる。
 現代社会もそうだが、文明は「富の蓄積と拡大」というシステムを内包している。経済社会もそうで、資本主義経済は「成長原理」のもとに成り立っている。成長するためには効率と競争が求められる。
 学校教育には競争原理が取りいれられ、そのための「評価システム」が組みこまれている。人は子どものころから、他人より少しでも優位な存在になることを強いられる教育を受けている。

2012年10月30日火曜日

10月30日


◎今日のテキスト

 人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷つけた人に対して腹を立てないはずだ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願う。彼はその人を罵詈《ばり》しない。彼はその人の肉体を傷つけない。彼は悪を行なう者の加うるすべての害悪を耐え忍ぶであろう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に対して全然悪意をもたぬことだ。だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な虫類や動物までも除外しない。それらの生物は、吾々の破壞的性癖を満足させるように作られているのではない。
 ――ガンジー「非暴力」(福永渙・訳)より

◎共感的コミュニケーションのベース

 音読療法ではボイスセラピストたちに「共感的コミュニケーション」というコミュニケーション・スキルを身につけてもらっている。これはアメリカのマーシャル・ローゼンバーグ氏が提唱したNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)をベースにしている。
 人はもともと暴力的な言動を好む動物ではなく、社会的な動物であり、共感的であることに喜びを見いだす本能を遺伝子レベルで持っていて、そのおかげで非力な生命体にもかかわらず今日まで淘汰されずに生きのびてきたばかりか、繁栄しているということは、さまざまな角度から実証されている。
 人が暴力的になるのは、競争原理や報酬主義が属するコミュニティに持ちこまれたときではないだろうか。

2012年10月29日月曜日

10月29日


◎今日のテキスト

 驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である。一昨昨年(一九一三年)公にされたアダムス氏の『社会革命の理』を見ると、近々のうちに社会には大革命が起こって、一九三〇年、すなわちことしから数えて十四年目の一九三〇年を待たずして、現時の社会組織は根本的に顛覆《てんぷく》してしまうということが述べてあるが、今日の日本にいてかかる言《げん》を聞く時は、われわれはいかにも不祥不吉《ふしょうふきつ》な言いぶんのように思う。しかし翻って欧米の社会を見ると、冷静なる学究の口からかかる過激な議論が出るのも、必ずしも無理ではないと思わるる事情がある。英米独仏その他の諸邦、国は著しく富めるも、民ははなはだしく貧し。げに驚くべきはこれら文明国における多数人の貧乏である。
 ――河上肇『貧乏物語』より

◎脳と身体、健康法、ダイエット法

 昨日、たまたま渋谷の書店に立ち寄って、棚をぶらぶらとながめてみた。
 健康法やダイエット法の本が目につく。
 ほかには過剰とも思える刺激的なフィクション群や、いかに自己実現するか・成功するかといったビジネス書、この世はどのような仕組みになっているかといった解説書、そして仕事のやりかたについてのハウツー本が、これでもかと自己主張をしてならんでいた。
 多くの本に共通しているのが、自分の身体を意識すること、身体と脳の働きをつなぐこと、いまここに意識を向けることであり、なにか時代の大きな流れのようなものを感じることができた。音読療法はそのなかでしっかりした土台を築いていっているように思う。

2012年10月28日日曜日

10月28日


◎今日のテキスト

 ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
 ――フランツ・カフカ『変身』(原田義人・訳)より

◎フットセラピストとの共演(二)

 私は「ミュージック・メディテーション」と題してヒーリング系の演奏シリーズを持っているが、その演奏を聴いてもらいながら珠央さんの足つぼマッサージを受けてもらおう、という企画だ。
 身体の内側と外側の両方から日常の「凝り」をほぐし、感覚をひらき、心地よい時間を体験してもらおうと思っている。その時間は音読療法にも通じるゆったりした呼吸への意識と、マインドフルネスの感覚を持っていただくことができるだろう。
この「玉響(たまゆら)のとき Vol.2」というイベントは11月9日に羽根木の家で開催されます。興味のある方は気軽にお問い合わせください。

2012年10月27日土曜日

10月27日


◎今日のテキスト

  暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎく
 この歌は、昭和十一年ごろ横浜の山手の坂で詠んだのであるが、そのときの花屋の花の色や路にさした電気の白い光も、すこしも顕れてゐない。何度か詠みなほしてみても駄目なので、そのまま投げてしまつた。しかし歌はともかく、秋のたそがれの坂の景色を私はその後も時々おもひ出してゐた。
 まだ静かな世の中で、大森山王にゐた娘たち夫婦が私を横浜に遊びに誘つてくれた。遊びにといつても週間の日の午後四時ごろ出かけたのだから、ちよつとした夕食をするのが目的で、その前に彼の大好きな場所であつたフランス領事館の前のあき地に行つて散歩した。その時分のタクシイは一円五十銭ぐらゐの料金で、大森八景坂からそのフランス領事館の坂の上まで私たちをはこんでくれた。
 ――片山廣子『燈火節』「花屋の窓」より

◎フットセラピストとの共演(一)

 世の中にはたくさんの種類の「セラピー」があって、なかにはその信憑性を疑うようなものもあるのだが、私が信頼をおいているセラピストのひとりに、フットセラピストの徳久珠央さんがいる。夫の徳久ウイリアム氏はボイスパフォーマーで、何度か共演したりワークショップでご一緒したりした。珠央さんともコラボすることがあって、私も少しだけ施術してもらったが、その技術の確かさとセラピーにたいする真摯さ、技術と知識の深さに感銘を受けることが多かった。
 その珠央さんとコラボする機会を持てることになった。

2012年10月26日金曜日

10月26日


◎今日のテキスト

 喬《たかし》は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視《みい》っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈《かさ》となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく黄金虫《ぶんぶん》の音でもあるらしかった。
 そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは少なく、魚の腹綿《はらわた》や鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻《べにがら》が古びてい、荒壁の塀《へい》は崩れ、人びとはそのなかで古手拭のように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋はそんな通りの、卓子《テーブル》で言うなら主人役の位置に窓を開いていた。
 ――梶井基次郎「ある心の風景」より

◎健康体重について(二)

「適正体重」という幻想があるのではないか。それはほとんどが、自分自身の体調とは関係のないたんなる数字であって、おなじ慎重160センチの人でも、40キロしかないのに元気でいる人もいれば、80キロもあって元気でいる人もいる、というような個々の事情を無視して存在している。
 そういった外部的に規定された数字を一度忘れて、自分の身体をしっかり見つめなおしてはどうだろう。いまの体重が外部基準ではなく、自分自身の感覚としてどうなのか。人から太っているとか痩せているとかいわれてどうということではなく、気持ちよく食べて生活を維持できているかどうか。
 標準的な体重やマスコミが作り出したイメージから著しくはずれてやせていたり太っていたりしても、自分が快適で健康にすごせているなら、外からの声を気にするのではなく自分の声を大事にしてはどうだろうか。

2012年10月25日木曜日

10月25日


◎今日のテキスト

 掃除をしたり、お菜《さい》を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を済まさせ、彼はようやく西日の引いた縁側近くへお膳を据えて、淋しい気持で晩酌の盃を嘗《な》めていた。すると御免とも云わずに表の格子戸をそうっと開けて、例の立退き請求の三百が、玄関の開いてた障子の間から、ぬうっと顔を突出した。
「まあお入りなさい」彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。
「否《いや》もうここで結構です。一寸そこまで散歩に来たものですからな。……それで何ですかな、家が定《き》まりましたでしょうな? もう定まったでしょうな?」
「……さあ、実は何です、それについて少しお話したいこともあるもんですから、一寸まあおあがり下さい」
 ――葛西善蔵「子をつれて」より

◎健康体重について(一)

現代人は自分の体重について「重すぎる」とか「軽すぎる」とかかんがえすぎる傾向があって、いまの体重で健康にすごせていることを受け入れている人は少ないように感じる。多くの人が「ダイエットしなきゃ」とかんがえているのだが、いったいそのかんがえはどこからやってきたものだろうか。
身長160センチの女性なら体重は50キロくらいがいい、とか、60キロだとダイエットしなきゃ、とか、思いこんでつらい思いで毎日をすごしている人がいるが、その思いこみはどこからきたものか、ということだ。
自分の身体の調子を検証して、体重がオーバーだから調子が悪い、とか、医者から体重を落とすようにいわれた、というならわかるが、たいていの人は外から与えられた情報で「ダイエットしなきゃ」と思いこんでいる。そしてその「外」というのは、ほとんどがマスコミである。

2012年10月24日水曜日

10月24日


◎今日のテキスト

ようべは初めて、澄んだ空を見た。宇都宮辺と思われる空高く、しきりに稲光りがする。もう十分秋になっているのに、虫一疋鳴かない。小山の上の大きな石に腰をおろしていると、冷さが、身に沁みて来るようだ。物音一つしない山の中に、幽かに断え間なく響いているのは、夜鷹が谷の向うにいるのだらう。八時近くなって、月の光りが明るくさして来た。八月末になって、豪雨が三度も来て、山は急にひっそりしてしまった。ま昼間、目の下の川湯に浸って女や子どもなどが物言う声も、しんかんと響くくらいである。山の湯宿の夜というものは、何かみじめらしい穢さを感じるものだが、ここは、一向さっぱりと静まつて居る。茶臼岳や、朝日岳の山襞がはっきり見えて来た。
 ――折口信夫「山の音を聴きながら」より

◎呼吸法はダイエット効果があるのか

 実証性のないいい加減なことはいいたくないので、音読療法の呼吸法でダイエット効果がある、などとはいわないことにしている。が、間接的にダイエットにつながることはあるかもしれない。
 音読療法では呼吸筋を鍛えることでコアマッスルをしっかりさせていく。コアマッスルがしっかりすれば基礎代謝はたしかにある程度あがるだろう。もっとも、それはたぶんわずかな数値だろうと想像できる。
 音読療法では呼吸や発声によって自律神経を整える。その結果、消化器系の働きはよくなり、便秘が改善されるなどしてダイエット効果があるかもしれない。そして心身が健康になっていくと、バカ食いしたり不規則に食べたりといった不健康な食事がなくなっていくことで、健康な体重に近づいていくことは期待できる。

2012年10月23日火曜日

10月23日


◎今日のテキスト

 大阪は木のない都だといわれているが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついている。
 それは生国魂《いくたま》神社の境内の、巳《み》さんが棲《す》んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟《くす》の老木であったり、北向八幡の境内の蓮池に落《はま》った時に濡れた着物を干した銀杏《いちょう》の木であったり、中寺町のお寺の境内の蝉の色を隠した松の老木であったり、源聖寺坂《げんしょうじざか》や口繩坂《くちなわざか》を緑の色で覆うていた木々であったり――私はけっして木のない都で育ったわけではなかった。大阪はすくなくとも私にとっては木のない都ではなかったのである。
 ――織田作之助「木の都」より

◎おかあさんのための音読カフェ

 音読療法協会では「音読カフェ」という、だれでも気楽に音読療法を体験できるイベントを不定期に開催しているが、明後日・木曜日には「おかあさんのための音読カフェ」をボイスセラピストが開催する。
 子育て中のおかあさんにはさまざまなストレスがかかっている。子どもが大切であることはいうまでもないが、子どもを大事に育てるためにはまずは自分自身を大切に扱うスキルが重要だろう、そのためには音読療法が有効だというコンセプトでおこなわれる。
 子どもも、自分を大切にしていないおかあさんに育てられるのは悲しいのではないだろうか。子どももまた、おかあさんのことを大切にしたいのだ。

2012年10月22日月曜日

10月22日


◎今日のテキスト

 町も、野も、いたるところ、緑の葉につつまれているころでありました。
 おだやかな、月のいい晩のことであります。しずかな町のはずれにおばあさんは住んでいましたが、おばあさんは、ただひとり、窓の下にすわって、針しごとをしていました。
 ランプの火が、あたりを平和に照らしていました。おばあさんは、もういい年でありましたから、目がかすんで、針のめどによく糸が通らないので、ランプの火に、いくたびも、すかしてながめたり、また、しわのよった指さきで、ほそい糸をよったりしていました。
 ――小川未明「月夜とめがね」より

◎横浜ホッチポッチ・ミュージックフェスティバル

 昨日は横浜のミュージックフェスティバルに、現代朗読協会で参加してきた。
 たくさんの音楽グループがあちこちの会場で同時進行的にライブをおこなうお祭りだが、天候にもめぐまれ、とても楽しくすごしてきた。
 音楽の人たちが、楽譜を見たり、楽器をうまく弾こうとしているなか、私たち朗読グループはのびのびと、間違えてもそれが「いまここ」の事実として受け入れて次へとつなげていったり、お客さんとのコミュニケーションを楽しんだりと、自由にやらせてもらった。
 今回はダンスのキムさんにも即興的に加わってもらって、さらに不確定要素(つまり自由度)が増したことが、みんなの「いまここのイキイキ」を増大させたように思う。

2012年10月21日日曜日

10月21日


◎今日のテキスト

 わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入《いらず》の間や、嫉《ねた》み深い女の生霊《いきりょう》や、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な幽怪な伝説をたくさんに知っていた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない」という武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めていたらしい。その気風は明治以後になっても失《う》せなかった。わたし達が子供のときに何か取り留めのない化け物話などを始めると、叔父はいつでも苦《にが》い顔をして碌々《ろくろく》相手にもなってくれなかった。
 その叔父がただ一度こんなことを云《い》った。
「しかし世の中には解《わか》らないことがある。あのおふみの一件なぞは……」
 ――岡本綺堂「半七捕物帳——お文の魂」より

◎子どもたちとの音読ワーク

 昨日は墨田区の小学校までボイスセラピスト三人といっしょに音読ワークに行ってきた。
 小学校を含む学校に音読ワークに行くことはかねてからおこなっていたが、行くたびに子どもたちの新鮮なこころと反応に触れてこちらも楽しくなると同時に、多くのことを学ばせてもらう。
 残念なことに、現在の学校教育制度は子どもたちをのびのびと育てるというより、テストや競争による評価によってむしろ萎縮させ、型にはめるような方向性になってしまっているが、それでも良心的な教師は子どもたちを伸ばしてやりたいと懸命になっている。
 音読療法協会はそのお手伝いをもっともっとしたいと思っている。

2012年10月20日土曜日

10月20日


◎今日のテキスト

東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖《がけ》の多い街がある。
 表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
 つまり表通りや新道路の繁華な刺戟《しげき》に疲れた人々が、時々、刺戟を外《は》ずして気分を転換する為めに紛《まぎ》れ込むようなちょっとした街筋――
 福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
 ――岡本かの子「鮨」より

◎長い出張

 月曜から金曜深夜(土曜午前)に渡っての愛知県への長い出張が終わった。
 豊田市に二泊、名古屋に二泊、足掛け五日という出張で、いずれも語り/朗読イベント関係の用事だった。こういう長い出張では、健康管理に一番気を使う。食事、睡眠。とくに疲れをためこまないための睡眠の質には注意を払う。
 日中の予定が詰まっていたり、夜の飲み会が続いたりすると、なかなか早めに寝られなかったり、また慣れないホテルのベッドで睡眠が浅くなりがちだったりすると、つい疲れがたまりがちになるが、こういうときこそ音読療法の呼吸法で自律神経を整え、深い睡眠を心がけたい。
 おかげで今回の長い出張もなんとか乗りきることができた。今日もまた朝からびっしり予定が詰まっているが、なんとか乗りきれるだろう。

2012年10月19日金曜日

10月19日


◎今日のテキスト

僕は、まるで催眠術にかかりでもしたような状態で、廃墟の丘をのぼっていった。
 あたりはすっかり黄昏《たそが》れて広重《ひろしげ》の版画の紺青《こんじょう》にも似た空に、星が一つ出ていた。
 丘の上にのぼり切ると、僕はぶるぶると身ぶるいした。なんとまあよく焼け、よく崩れてしまったことだろう。巨大なる墓場だ。犬ころ一匹通っていない。向うには、焼けのこった防火壁が、今にもぶったおれそうなかっこうで立っている。こっちには大木が、黒焦げになった幹をくねらせて失心状態をつづけている。僕の立っている足もとには、崩れた瓦が海のように広がっていて、以前ここには何か大きな建物があったことを物語っている。
 ――海野十三『海底都市』より

◎深睡眠(三)

 スムースに深い眠りにはいっていくことについて、音読療法における「ボトムブレス」が役に立つ。 ボトムブレスは自律神経の副交感神経を亢進させるので、心身を鎮静させて入眠しやすい状態にもっていくことができる。 日中の活動で興奮した交感神経をしずめ、落ち着いた心身の状態を作ることで、すっと深い睡眠にはいっていける。

2012年10月18日木曜日

10月18日


◎今日のテキスト

 いつからとなく描きためかきためした写生帖が、今は何百冊という数に上っている。一冊の写生帖には、雑然として写生も縮図も前後なく描き込んである。が、そうしたものを時折繰りひろげてみると、思い掛けもない写生や縮図が見付かって、忘れた昔を思い出したり、褪《さ》め掛けた記憶を新にしたりする事がある。私のためには、古い新しい写生帖が懐かしい絵日記となっている。
 ――上村松園「写生帖の思い出」より

◎深睡眠(二)

 いかに質のよい「深睡眠」を得られるかが、睡眠の質を決めるといっていい。 深睡眠によって、ダメージを受けたこころも身体も回復していく。 逆にいえば、質のよい深睡眠を得られない場合、ダメージは回復しないまま翌日へと持ちこされていくことになる。
 深睡眠は寝入りばなの最初の1セット(90分)がもっともよく現われ、2セットめ、3セットめと深睡眠が現われにくくなる。 睡眠時間の後ろのほうのノンレム睡眠は、1番目、2番目の眠りが浅いパターンが多く現れるようになる。 したがって、質のよい睡眠を得るには、いかにすばやくスムースに深い眠りにはいっていくことができるか、ということが重要である。

2012年10月17日水曜日

10月17日


◎今日のテキスト

 汽車がとまる。瓦斯《ガス》燈に「かしはざき」と書いた仮名文字が読める。予は下車の用意を急ぐ。三四人の駅夫が駅の名を呼ぶでもなく、只歩いて通る。靴の音トツトツと只歩いて通る。乗客は各自に車扉を開いて降りる。
 日和下駄カラカラと予の先きに三人の女客が歩き出した。男らしい客が四五人又後から出た。一寸《ちょっと》時計を見ると九時二十分になる。改札口を出るまでは躊躇《ちゅうちょ》せず急いで出たが、夜は意外に暗い。パッタリと闇夜に突当って予は直ぐには行くべき道に践《ふ》み出しかねた。
 ――伊藤左千夫「浜菊」より

◎深睡眠(一)
 働いて疲れた身体や、ストレスを受けてダメージを受けたこころを回復するためには、睡眠の質を高めることが重要である。
 睡眠はよく知られているように、約90分を1セットとして、レム睡眠とノンレム睡眠を交互にくりかえすパターンを持っている。 レム睡眠のときは眼球がよく動いて、夢を見ている。 ノンレム睡眠は眼球が動かず、脳も休んでいる。 ノンレム睡眠はその脳波パターンからさらに4つの段階に分けられていて、3番目、4番目の段階がもっとも睡眠が深い。 つまり、これが「深睡眠」である。

2012年10月16日火曜日

10月16日


◎今日のテキスト

 半生を放浪の間に送って来た私には、折にふれてしみじみ思出される土地《ところ》の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐かしい記憶を私の心に残した土地は無い。あの大きい田舍町めいた、道幅の広い物静かな、木立の多い洋風擬《まが》いの家屋の離ればなれに列んだ――そして甚《どんな》大きい建物も見涯のつかぬ大空に圧しつけられている様な石狩平原の中央《ただなか》の都の光景《ありさま》は、ややもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引《ひきつ》ける。一年なり、二年なり、何時かは行って住んで見たい様に思う。
 ――石川啄木「札幌」より

◎体幹をひねる(二)

 内臓やその周辺の細い血管やリンパ管には、古い血液やリンパ液がよどんでいる。とくに身体をあまりうごかさずない生活をしているとよどみやすくなる。
 体幹をひねることで、これらのよどんだ体液を細い血管やリンパ管から太い血管・リンパ管へと押しだす。ひねった身体をもとにもどすと、今度は太い血管・リンパ管から細い血管・リンパ管へ新鮮な血液やリンパ液が流れこむ。デトックス効果を期待できる。
 体幹をひねるストレッチは、呼吸法とともにぜひ習慣化したいものだ。

2012年10月15日月曜日

10月15日


◎今日のテキスト

 秋の夕日に照る山もみじ
 濃いも薄いも数ある中に
 松をいろどる楓《かえで》や蔦《つた》は
 山のふもとの裾模樣《すそもよう》

 溪《たに》の流に散り浮くもみじ
 波にゆられて はなれて寄って
 赤や黄色の色さまざまに
 水の上にも織る錦《にしき》

 ――高野辰之「紅葉《もみじ》」より

◎体幹をひねる(一)

 音読療法では呼吸法をやる前に全身をほぐしリラックスするために軽くストレッチをやることがある。このストレッチのなかでも身体をひねる(ねじる)ストレッチはさまざまな効果が期待できるので、積極的にやることをおすすめしたい。
 両足を肩幅くらいに開いてリラックスして立ち、両手をあげて指を頭のうしろで組み合わせ、肘を左右にまっすぐに張る。その状態で、息を吐きながらゆっくりと身体を左にひねっていく。真後ろを向くつもりで。これ以上ひねることができないと位置までひねって息を吐ききったら、そこで静止し、あとは自然呼吸で三十秒くらいそのポーズをキープする。
 三十秒たったら、ゆっくりとひねりをといて元の位置にもどり、さらにそのまま今度は右後ろへとひねっていく。
 体幹をひねるストレッチだが、これはさまざまな効果が期待できる。

2012年10月14日日曜日

10月14日


◎今日のテキスト

 新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴《ベル》が、霧とまではいえない九月の朝の、煙《けむ》った空気に包まれて聞こえて来た。葉子《ようこ》は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋《つるや》という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分《ぶ》がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。
 ――有島武郎『或る女』より

◎介護予防という考え方を身につける(三)

 人である以上、かならずいつかはこの世とお別れするときがやってくる。その瞬間までどのようにすごしたいか。
 どんな人もその瞬間まで元気でありたいと願っているだろう。もちろん私もそうだ。そのために、いまのうちから老齢になっても元気でいられる「術(スキル)」を身につけておきたいと思う。そのスキルはそれほど難しいものではない。たとえば音読療法がそのスキルのひとつとして非常に有効であることは確かだが、問題はそれを毎日つづけることができるかどうか、ということだ。
 自分が死ぬまで元気でいたい、というその必要性をどれだけ強く、深く思えるかということが、毎日の介護予防の習慣を自分がおこなえるかということにつながる。

2012年10月13日土曜日

10月13日


◎今日のテキスト

 夜寒《よさむ》の細い往来を爪先上《あが》りに上あがって行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電灯がともっているが、柱に掲げた標札の如きは、ほとんど有無《うむ》さえも判然しない。門をくぐると砂利が敷いてあって、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々《ふんぷん》として乱れている。
 砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると、これもまた古ぼけた格子戸の外《ほか》は、壁といわず壁板《したみ》と云はず、ことごとく蔦《つた》に蔽われている。だから案内を請おうと思ったら、まずその蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴《ベル》の鈕《ボタン》を探さねばならぬ。それでもやっと呼鈴を押すと、明りのさしている障子が開いて、束髪《そくはつ》に結った女中が一人、すぐに格子戸の掛け金を外《はづ》してくれる。
 ――芥川龍之介「漱石山房の秋」より

◎介護予防という考え方を身につける(二)

 音読ケアのために高齢者施設にうかがう機会が多い。そのたびに思うのは、すでに施設にはいっておられる方には申し訳なく、またこの方たちのことはもちろんおろそかにするわけではないが、自分自身はなるべく施設のお世話になることなく、介護を必要としない元気なままで老後を迎えたい、ということだ。
 私の父は八十すぎで亡くなったが、学生時代、太平洋戦争で海軍にとられ、魚雷攻撃によって傷痍軍人となった。そのため、身体のあちこちに不具合があり、老齢になってからはしょっちゅう医者の世話になっていたが、自分ではせっせと日常的に運動などに努めていたのをいまとなっては思い出す。おかげで、最後は自宅の布団で亡くなった。
 私もそうありたいと思うのだ。

2012年10月12日金曜日

10月12日


◎今日のテキスト

 自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が隈《くま》なく自分を支配していた後に現われて来た。そうしてそれは自分を自己肯定の本道に導いてくれそうに思われる。
 自我の尊重、個人の解放、――これらの思想はただ思想として自分の内にはいって来たのではなかった。小供の時から自分の内に芽生えていた反抗の傾向――すべての権威に対する反抗の気風はこれらの思想によって強い支柱を得、その結果として自尊の本能が他の多くの本能を支配するようになった。外から与えられたように感ぜられる命令、――この事をしろとかあの事をしてはならぬとかいう命令はすべて力のないものに見え、ただ自分の意欲することのみが貴いと思った。
 ――和辻哲郎「自己の肯定と否定と」より

◎介護予防という考え方を身につける(一)

 私は現在55歳で、諸先輩方からは「若い」といわれるが、青年のころには55歳の自分のことなど想像もできなかった。
 55歳で亡くなっている人は、たとえばいわさきちひろがそうだ。タルコフスキー、天地茂、青江三奈は54歳、向田邦子、フィリップ・K・ディック、有吉佐和子、横山やすし、ジョン・デンバーは53歳、グレース・ケリー、南伸介、石原裕次郎、東八郎、美空ひばり、森瑶子、中島らもは52歳、マリア・カラス、ビル・エバンス、氷室冴子は51歳、スティーブ・マックイーン、グレン・グールド、梶原一騎、マイケル・ジャクソンは51歳。ついでに49歳で亡くなったのは夏目漱石や織田信長。
 あとどのくらい生きられるだろうか、ということより、あとどのくらい元気に活動できるだろうか、ということのほうが気になる。

2012年10月11日木曜日

10月11日


◎今日のテキスト

 眼のさめたままぼんやりと船室の天井を眺めていると、船は大分揺れている。おもむろに傾いては、またおもむろに立ち直る。耳を澄ましても波も風も聞えない。すぐ隣に寢ている母子《おやこ》づれの女客が、疲れはてた声でまた折々吐いているだけだ。半身を起して見すと、室内の人はことごとくひっそりと横になって誰一人煙草を吸ってる者もない。
 船室を出て甲板に登ってみると、こまかい雨が降っていた。沖一帯はほの白い光を包んだ雲に閉されて、左手にはツイ眼近に切りそいだ様な断崖が迫り、浪が白々と上っている。午前の八時か九時、しっとりとした大気のなかに身に浸む様な鮮さが漂うて自ずから眼も心も冴えて来る。
 ――若山牧水「熊野奈智山」より

◎福井県立病院でピアノを弾いてきた

 あとで聞いてびっくりしたのだが、福井県立病院は1000床近くの巨大病院だった。
 エントランスホールにグランドピアノがあって、そこでは時々音楽コンサートが開かれている。たまたま友人の医者が勤務していたので、取り次いでもらってそこでピアノコンサートをやらせてもらった。
 入院患者さんをはじめ、わざわざ聴きに来てくれた方、たまたま通りかかった方、職員の方など、思っていたよりずっとたくさんの方に聴いていただくことができた。喜んでもらえたのは、そのまんま私の喜びでもある。
 職員の方からも皆さんからも、またやってねといわれたことが、先の励みになっている。
 音楽も音読も、音は人の心と身体に直接触れることができる。


2012年10月10日水曜日

10月10日


◎今日のテキスト

 河の水音は家の後ろに高まっている。雨は朝から一日窓に降り注いでいる。窓ガラスの亀裂《ひび》のはいった片隅には、水の滴《したた》りが流れている。昼間の黄ばんだ明るみが消えていって、室内はなま温くどんよりとしている。
 赤児《あかご》は揺籃《ゆりかご》の中でうごめいている。老人は戸口に木靴を脱ぎすててはいって来たが、歩く拍子に床板《ゆかいた》が軋《きし》ったので、赤児はむずかり出す。母親は寝台の外に身をのり出して、それを賺《すか》そうとする。祖父は赤児が夜の暗がりを恐《こわ》がるといけないと思って、手探りでランプをつける。その光で、祖父ジャン・ミシェル老人の赤ら顔や、硬い白髯《しろひげ》や、気むずかしい様子や、鋭い眼付などが、照らし出される。
 ——ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(豊島与志雄・訳)より

◎ウジャイ呼吸

 ヨガの呼吸法のひとつに「ウジャイ呼吸」というものがある。これは声帯のすきまである「声門」を意識的に調整する呼吸法だ。
 声門を完全に閉じてしまうと呼吸はとまるし、閉じた声門のあいだを空気を押し通せば振動が生まれてそれは声となる。声門をわずかに開いてそこに空気を通せば、狭い場所を通る空気には速度が生まれ、また声帯付近に乱気流が生じて空気がより粘膜に触れやすくなり、熱が粘膜から空気に移る。
 狭い声門を通る空気は「コォー」というような音を立てる。この音を意識して呼吸をすると、音読療法でも推奨している細く長いゆっくりした呼吸になる。

2012年10月9日火曜日

10月9日


◎今日のテキスト

 亮《あか》るい月は日の出前に落ちて、寝静まった街の上に藍甕《あいがめ》のような空が残った。
 華老栓《かろうせん》はひょっくり起き上ってマッチを擦り、油じんだ燈盞《とうさん》に火を移した。青白い光は茶館の中の二間《ふたま》に満ちた。
 ——魯迅「薬」(井上紅梅・訳)より

◎おかあさんのための音読カフェ

 ボイスセラピストのひとりが発案して企画したイベントが準備中である。子育て中のおかあさんを対象とした音読療法を体験してもらうカフェ形式のあつまりで、どなたでも参加できる。
 子育ては大切な仕事だが、ともすればおかあさん自身は自分をおろそかにしてしまうこともある。自分も大切に扱えてはじめて、子育てもしっかりと充実することができる、という考えのもと、まずは音読療法をもちいて自分自身を大切にする方法を身につけてもらおうというねらいのイベントだ。
 とてもよい着眼点で、ぜひ多くのおかあさんに参加してもらいたいと思っている。くわしくは音読療法協会にお問い合わせいただきたい。また、子育て中のおかあさんの知り合いがいたら、このイベントのことを教えていただけるとうれしい。

2012年10月8日月曜日

10月8日


◎今日のテキスト

 レイモンドはふと聞き耳をたてた。再び聞《きこ》ゆる怪しい物音は、寝静《ねしずま》った真夜中の深い闇の静けさを破ってどこからともなく聞えてきた。しかしその物音は近いのか遠いのか分《わか》らないほどかすかであって、この広い屋敷の壁の中から響くのか、または真暗《まっくら》な庭の木立の奥から聞えてくるのか、それさえも分らない。
 ——モーリス・ルブラン『奇巌城』(菊池寛・訳)より

◎玄米食(二)

 前日に玄米を洗い、タッパーに入れてひたひたより多めの水にひたしておく。翌日それを圧力鍋にいれ、玄米と同量の水をいれて炊く。同量、というのは、玄米が二合なら水の分量も二合ということだ。
 圧力鍋の蒸気ピンがシューシューいいだしたら、すぐに火をとめ、あとは二十分ほど蒸らせばもう食べることができる。
 玄米は白米に比べて栄養価が高い。食物繊維は八倍以上、ビタミンやミネラルは数倍以上あるので、さまざまな病気予防の効果が期待できる。

2012年10月7日日曜日

10月7日


◎今日のテキスト

 ゴシック式、絵画的な風景を背景にして香港《ホンコン》の海の花園を、コリシャン・ヨット・クラブの白鷺《しらさぎ》のような競走艇が走る。一九二七年の寒冷なビクトリア港の静かな波間にオランダの汽船が碇泊《ていはく》すると、南方政府の逮捕命令をうけて上海《シャンハイ》を逃れた陳独秀《ちんどくしゅう》が船着場に衰えた姿をあらわした。
 米良《メラ》は空中滑走する、戦い疲れた陳独秀とビクトリア・カップよりセント・ジョウジ・プレースに至る山頂火車のなかで彼等は力なく握手して、空中の鏡の上にモーニング姿の印度《インド》人のイサックを発見するのであった。
 ——吉行エイスケ「地図に出てくる男女」より

◎玄米食(一)

 一日二食の生活だと、食事回数が少ないので、いろいろな品目をまんべんなく摂るということがしにくくなる。
「一日三十品目以上食べなさい」という健康法がいわれたこともある。それは無理だとしても、なるべくさまざまな栄養素を摂りたいものだ。
 そういうとき有用なのが、植物の種、実だ。種はそこから植物が生まれるほどあって、非常に多くの栄養素がすでにこめられている。大豆もいいし、米なら精米していない玄米だ。これだけ食べていても不足はないほどだ。
 私は玄米を、前日に洗って水にひたしておき、翌日に圧力鍋で炊きあげる。これはとても簡単で、栄養もあるし、おいしい。

2012年10月6日土曜日

10月6日


◎今日のテキスト

 従来は貞操という事を感情ばかりで取扱っていた。「女子がなぜに貞操を尊重するか。」こういう疑問を起さねばならぬほど、昔の女は自己の全生活について細緻《さいち》な反省を下すことを欠いていた。女という者は昔から定められたそういう習慣の下に盲動しておればそれで十分であると諦《あきら》めていた。
 けれども今後の女はそうは行かない。感情ばかりで物事を取扱う時代ではなくなった。総《すべ》てに対して「なぜに」と反省し、理智の批判を経て科学的の合理を見出《みいだ》し、自己の思索に繋《か》けた後でなければ承認しないという事になって行くであろう。
 ——与謝野晶子「私の貞操感」より

◎一日二食

 私は三食ではなく、一日二食で生活している。
 というとたいていの人からは驚かれるのだが、江戸時代より以前はだれもが一日二食だった、という話もある。そして私も基本的にそれで不都合なく生活できている。
 二食のタイミングだが、朝と昼だ。夜は食べない。食べてもごく軽いものにしている。
 朝は玄米ご飯、みそ汁、あとは納豆とかおひたしとか酢の物。昼は比較的がっつりと、夕飯なみにしっかりと食べる。間食はしない。まれにしても、自前で作っているヨーグルトとフルーツくらい。
 それで体重が減るどころか、油断するとそれでも増えてしまうから、案外身体は燃費がいい。

2012年10月5日金曜日

10月5日


◎今日のテキスト

 駈けて来る足駄《あしだ》の音が庭石に躓《つまず》いて一度よろけた。すると、柿の木の下へ顕れた義弟が真っ赤な顔で、「休戦休戦。」という。借り物らしい足駄でまたそこで躓いた。躓きながら、「ポツダム宣言全部承認。」という。
「ほんとかな。」
「ほんと。今ラヂオがそう云った。」
 私はどうと倒れたように片手を畳につき、庭の斜面を見ていた。なだれ下った夏菊の懸崖が焔《ほのお》の色で燃えている。その背後の山が無言のどよめきを上げ、今にも崩れかかって来そうな西日の底で、幾つもの火の丸が狂めき返っている。
 ——横光利一『夜の靴』より

◎ボイスセラピーは施術ではない

 いろいろな療法/セラピーでは、療法士/セラピストがクライアントにたいしておこなうことを「施術する」という。
 ボイスセラピーでは「施術」といういいかたは用いない。セラピストはクライアントに「施術」するのではなく、呼吸法や音読のエチュードをガイドして、共感的によりそう。あくまでもこちらからクライアントになにかを「与える」というのではなく、相手が本来持っている自己回復の力を取りもどすお手伝いをするだけである。

2012年10月4日木曜日

10月4日


◎今日のテキスト

 林檎はどこにおかれても
 うれしそうにまっ赤で
 ころころと
 ころがされても
 怒りもせず
 うれしさに
 いよいよ
 まっ赤に光りだす
 それがさびしい
 ——山村暮鳥『雲』より「おなじく(赤い林檎)」

◎便秘にきく呼吸法

 朝めざめて、まだ交感神経が充分に昂進していないうちに、しっかりとボトムブレッシングをおこなうと、消化器官のとくに末端がよく動いて、排出されやすくなる。つまり便通がよくなる。
 即座に効果が出る人もいれば、なかなか効果があらわれない人もいて、個人差があるのだが、毎日つづけることでかなりの効果が期待できる、という報告を多くいただいている。
 便秘でなやんでいる人はしばらくためしてみることをおすすめする。

2012年10月3日水曜日

10月3日


◎今日のテキスト

 越後《えちご》の春日《かすが》を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳を踰《こ》えたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞《はらから》二人を、「もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩かせようとする。二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣《ものまい》りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠《かさ》やら杖《つえ》やらかいがいしい出立《いでた》ちをしているのが、誰の目にも珍らしく、また気の毒に感ぜられるのである。
 ——森鴎外『山椒大夫』より

◎呼吸のことを思いだす(二)

 呼吸は普段、無意識におこなっているが、意識的におこなうこともできる。呼吸法を意識的におこなうことで、呼吸の質を高めることができる。呼吸の質を高めれば、全身の活性化にもつながるし、また神経系の正常化にも役立つ。
 最初は呼吸法をもちいて意識的な呼吸を練習することで、普段から呼吸を意識できるようになる。
 呼吸は人の体内に酸素を取りこみ、逆に体内で作られた二酸化炭素を排出する。酸素が欠乏すれば人はただちに具合が悪くなり、意識が混濁し、やがては死にいたる。血中酸素濃度が95パーセントから90パーセントにさがるだけで、非常に具合が悪くなってしまう。
 しっかりとした呼吸は人の基本的生命活動を向上させ、生活の質を支える基本となる。

2012年10月2日火曜日

10月2日


◎今日のテキスト

 田端の高台からずうっとおりて来て、うちのある本郷の高台へのぼるまでの間は、田圃だった。その田圃の、田端よりの方に一筋の小川が流れていた。関東の田圃を流れる小川らしく、流れのふちには幾株かの榛の木が生えていた。二間ばかりもあるかと思われるひろさで流れている水は澄んでいて流れの底に、流れにそってなびいている青い水草が生えているのや、白い瀬戸ものの破片が沈んでいるのや、瀬戸ひき鍋の底のぬけたのが半分泥に埋まっているのなどが岸のところから見えていた。大根のとれる季節になると、その川のあっちこっちで積あげた大根を洗っていた。川ふちの榛の木と木の間に繩がはってあって、何かの葉っぱが干されていたこともある。わたしたち三人の子供たちは、その川の名を知らなかった。
 ——宮本百合子「菊人形」より

◎呼吸のことを思いだす(一)

 昨日は世田谷・桜新町の区民集会所に行って、あるグループの皆さんに音読療法の説明と体験実施をさせてもらった。比較的ご高齢の方が多く、しかし介護を必要とはされていない元気な方がほとんどだった。
 介護を必要としない、寝たきりにならない、認知症にならない老後というのは、私自身も望んでいることだが、これは努力しなければそうなるものではないとかんがえている。介護予防にもっとも有効な手段のひとつに音読療法があると思うが、昨日集まったみなさんにお聞きしたところ、普段呼吸のことなどほとんど意識したことがないという方がほとんどだった。
 これにはちょっと驚いた。

2012年10月1日月曜日

10月1日


◎今日のテキスト

 夏休みの十五日の農場実習の間に、私《わたくし》どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処《ところ》がありました。
 それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截《よこぎ》って来る冷たい猿ヶ石《さるがいし》川の、北上川への落合《おちあい》から、少し下流の西岸でした。
 ——宮沢賢治「イギリス海岸」より

◎嵐の夜に

 私がこれを書いているのは、2012年9月30日の午後10時半すぎである。台風が直撃コースをたどって近づいていて、とくに風がゴーゴーと吹き荒れはじめている。
 風は息をついてときに強まり、ときに弱くなる。まさに生きている感じがする。
 そんななか、生きている私は、嵐をわくわくするような、不安なような、いろいろな感情が入りまじった気持ちですごしている。
 自然の力や風景と直面するとき、人はマインドフルになり、「いまここ」を意識する。