2012年8月31日金曜日

8月31日


◎今日のテキスト

 朝の空を彩る銀色のリボンと、同じように海上を飾る緑色のリボンとの中を、船は進んで、ハーウィッチの港に着いた。すると、人々は蝿の群でもあるかのように、ちりぢりに各々目ざす方へと散って行った。その中に、今我々が語ろうとする男は、別に特別に注意を惹くものではなかったし――というよりも、注意を惹かれまいとしているのだった。彼の身のまわりには、祭りの日のような陽気さの中に、顔に浮んだ役人じみたもっともらしさがあるだけで別に注意すべきものは何もなかった。彼の服装はと言えば、うすい灰白色の短衣に純白のチョッキをつけ、青鼠色のリボンのついた銀色に光る麦藁帽を冠っていた。その対照で、彼の面長の顔は黒味を帯びていたし、スペイン人のような、無雑作な黒い髯をつけているのが、エリザベス朝時代の頸飾を思わせた。
 ——チェスタートン「青玉《サファイア》の十字架」(直木三十五・訳)より

◎音読療法協会がめざすもの(三)

 音読療法には職業創出という側面もある。
 ボイスセラピストはだれかに雇われたり雇ったりする関係ではなく、自立し、自分の裁量でおこなっていく仕事だ。
その分、もちろん苦労する面も多いだろうが、自分の意思で自由に仕事をし、なおかつそれが社会貢献につながっているという、とてもやりがいのある仕事だと思う。
 音読療法協会ではすでに30名のボイスセラピストが生まれているが、専門的な職業として活動できる1級資格やマスター資格を取得した人はまだまだ少ない。
興味を持たれた方は、この活動のパイオニアとして加わってほしい。歓迎する。

2012年8月30日木曜日

8月30日


◎今日のテキスト

 家の中二階は川に臨んで居た。そこにこれから発《た》とうとする一家族が船の準備の出来る間を集って待っていた。七月の暑い日影は岸の竹藪に偏《かたよ》って流るる碧《あお》い瀬にキラキラと照った。
 涼しい樹陰《こかげ》に五六艘の和船が集って碇泊しているさまが絵のように下に見えた。帆を舟一杯にひろげて干しているものもあれば、陸《おか》から一生懸命に荷物を積んでいるものもある。ここらで出来る瓦や木材や米や麦や――それらは総て此川を上下する便船《びんせん》で都に運び出されることになっていた。その向こうには、某町《なにがしまち》から某町に通ずる県道の舟橋がかかっていて、駄馬《だば》や荷車の通る処に、橋の板の鳴る音が静かな午前の空気に轟いて聞えた。
 ——田山花袋「朝」より

◎音読療法協会がめざすもの(二)

地域社会や職場でも音読療法を役立ててもらえるのではないかとかんがえている。
地域社会においては、介護を必要としない元気な老後を迎えるための「介護予防」をサポートできるはずだ。ようするに、元気に自立したまま老後をすごすための健康法として、音読療法が相当有効であろうと思われる根拠がある。
また職場においては、管理職も新入社員も問題になっている鬱病対策、ストレス対策、そしてコミュニケーション不全に対する強力なツールとなるはずだ。

2012年8月29日水曜日

8月29日

◎今日のテキスト

 十一月一日 晴、行程七里、もみぢ屋という宿に泊る。

――有明月のうつくしさ。
今朝はいよいよ出発、更始一新、転一歩のたしかな一歩を踏み出さなければならない。
七時出立、徳島へ向う(先夜の苦しさを考え味わいつつ)。
このあたりは水郷である、吉野川の支流がゆるやかに流れ、蘆荻が見わたすかぎり風に靡いている、水に沿うて水を眺めながら歩いて行く。
 ——種田山頭火『四国遍路日記』より

◎音読療法協会がめざすもの(一)

スタートしてまだ一年あまりというとても若い組織だが、活動の場を積極的に求め、ひとりでも多くの人に音読療法の利便性を知ってもらおうと努力している。
現在は、老人ホームや小中学校での音読ワーク、東北の被災地支援としての音読ケア、個人セッションなどを中心に、ボイスセラピストの活動の場が徐々に広がりつつある。
まだまだ知名度は低いが、音読療法という方法がすべての方のフィジカル/メンタル両面の健康維持や回復に役立ったり、このストレスフルな社会で生き抜いていくための強力なスキルとして役立つことが実証されている。

2012年8月28日火曜日

8月28日

◎今日のテキスト

 親《おや》という二字と無筆の親は言い。この川柳《せんりゅう》は、あわれである。
「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」
「チャンや。親という字は一字だよ。」
「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」
 この教訓は、駄目である。
 しかし私は、いま、ここで柳多留《やなぎだる》の解説を試みようとしているのではない。実は、こないだ或《あ》る無筆の親に逢《あ》い、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。
 ——太宰治「親という二字」より

◎日めくりスケッチ展

 いま、下北沢のカフェ〈Com.Cafe 音倉〉というところで、この「音読日めくり」に毎日掲載している小さなスケッチの展示をやっているが、その会期が二週間延長になった。
 額装して展示してあるスケッチは販売しているのだが、幸い絵を買ってくれる人がいたり、プリントしたポストカードを買ってくれる人もいるらしい。
 つたないものでも自分が描いたものがだれかに気にいられ、もらわれていくのはうれしいことだ。
 会期は9月9日(日)までなので、ご都合のつく方はいらしてください。


2012年8月27日月曜日

8月27日

◎今日のテキスト

 一体世の中に、何故? ときかれて、何となればと答の出来る様なことは、ごくつまらない事に違いない。
 机にも脚が四本ある、犬にも足が四本ある。何故、犬には歩けて、机には歩けないか?
 こんなことに答が出来たとて、おもしろくもなんともない。
 けれど、私は何故に生れたろう? とそうきいて御覧なさい。知っている人は言はないし、知らない人は答はしない。それゆえにおもしろいのです。富士山が一万三千尺あろうとも、ないやがら瀑布が世界第一であろうとも、そんなことは少しもおもしろくない。私達の知らぬことが世の中には、まだどんなに沢山あることだろう。
 ——竹久夢二「秘密」より

◎音読療法協会の一年

 学校や老人ホーム、東北の被災地での現代朗読協会の音読ワークの活動をベースに音読療法が体系化され、音読療法協会を立ちあげてほぼ一年がたちました。その間の活動はめまぐるしく、また我ながらめざましいものだったと感じますが、まだまだ始まったばかりだという感もあります。
 ボイスセラピストという資格認定講座も定期的におこなわれ、昨日も2級ボイスセラピスト講座がおこなわれたばかりですが、これでちょうど30名の資格認定者が生まれる予定です。
 このストレスフルな高齢化社会を心豊かにすごしていくためのとてもすぐれた方法を、より多くの人に知ってもらえればと思っています。

2012年8月26日日曜日

8月26日


◎今日のテキスト

 智恵子は東京に空が無いという、
 ほんとの空が見たいという。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言う。
 阿多多羅山《あたたらやま》の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとの空だという。
 あどけない空の話である。
 ——高村光太郎『智恵子抄』より「あどけない話」

◎自家製ヨーグルト

 私はかなり前からヨーグルトを自分で作っている。いわゆるカスピ海ヨーグルトの種を人からもらったのがきっかけで、自分で作るようになった。
 牛乳を買ってきて、ヨーグルトの種を混ぜて、容器を温度のよさそうな場所に置いて、しばらく放置する。
 夏はあまり暑くなる場所だと、菌が死んでしまう。冬はあまり寒い場所だと菌が繁殖しない。
 面倒なところもあるが、なんでも工場や他人が作ったものですませてしまえる時代にあって、あえて自分が手間をかけて自分のものを作るというパートを大切にすることは、どこかゆずれないところがあるように私は思っている。

2012年8月25日土曜日

8月25日


◎今日のテキスト

 トゥロットのお母ちゃまは、朝、いろんな人たちといっしょに、馬車でそとへお出かけになりました。ド・ヴレーさんというよそのおじさまが、馬のたづなをとり、もう一人のおじさまがラッパをならして、みんなでたのしそうに出ていきました。トゥロットは、ちいさくて、足手まといになるので別荘にのこされました。
 トゥロットは、女中のジャンヌと二人であそぶつもりでいたのですのに、お母ちゃまはトゥロットがたいくつするだろうとおもって、先生のミスに、来てやって下さいとおたのみになったものです。トゥロットは、あああと、がっかりしました。お母ちゃまは、トゥロットにそうだんもなさらないで、いやな人をおよびになるのですからたまりません。
 ——鈴木三重吉「かたつむり」より

◎平均寿命と健康寿命

 2011年の日本人の平均寿命は男性が約80歳、女性が約86歳だった。
 ところで「健康寿命」という言葉がある。介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、日常生活に制限なく自立して生活できる年齢のことだ。
 これは男性が約70歳、女性が約74歳。
 平均寿命と合わせてかんがえると、介護を受けたり寝たきりになって生活する期間が、男は約10年、女は約12年。
 だれもができるだけ介護を受けたり、寝たきりになったりせずに死期を迎えたいと思っているのではないだろうか。
 そのためにはやはり音読療法! 音読療法は介護予防に最適だ。

2012年8月24日金曜日

8月24日


◎今日のテキスト

 五月が来た。測候所の技手なぞをしているものは誰しも同じ思いであろうが、ことに自分はこの五月を堪えがたく思う。その日その日の勤務《つとめ》――気圧を調べるとか、風力を計るとか、雲形を観察するとか、または東京の気象台へあてて報告を作るとか、そんな仕事に追われて、月日を送るという境涯でも、あの蛙が旅情をそそるように鳴出す頃になると、妙に寂しい思想《かんがえ》を起こす。旅だ――五月が自分に教えるのである。
 いろいろなことを憶出すのもこの月だ。
 ——島崎藤村「朝飯」より

◎コアマッスルは重要

 ちょっとどういうタイミングなのか自覚がないのだが、腰を傷めてしまった。ただ座っているだけでも、立って歩いたり、なにか持ちあげたりしようとすると、腰の右後ろのあたりにかなりの痛みが走って、不自由だ。
 傷めたのはおそらく外腹斜筋という筋肉だが、どういうふうにして傷めたのかがわからない。
 ただ、ここ数日、ずっとコンピューターに向かってものを書いている時間が多く、身体を使っていなかった。そのどこかで急に身体を動かしたりしたときに、姿勢筋を傷めてしまったのではないかと思われる。
 年齢とともに日々筋肉はおとろえ、とくに姿勢や呼吸をつかさどるコアマッスルの衰えは生活にも影響が出るので、意識的に鍛えるようにしたいものだ。

2012年8月23日木曜日

8月23日


◎今日のテキスト

 寛宝《かんぽう》三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神《ゆしまてんじん》の社《やしろ》にて聖徳太子《しょうとくたいし》の御祭礼《ごさいれい》を致しまして、その時大層参詣《さんけい》の人が出て群集雑沓《ぐんじゅざっとう》を極《きわ》めました。こゝに本郷三丁目に藤村屋新兵衞《ふじむらやしんべえ》という刀屋《かたなや》がございまして、その店先には良い代物《しろもの》が列《なら》べてある所を、通りかゝりました一人のお侍は、年の頃二十一二とも覚《おぼ》しく、色あくまでも白く、眉毛秀《ひい》で、目元きりゝっとして少し癇癪持《かんしゃくもち》と見え、鬢《びん》の毛をぐうっと吊り上げて結わせ、立派なお羽織に結構なお袴《はかま》を着け、雪駄《せった》を穿《は》いて前に立ち、背後《うしろ》に浅葱《あさぎ》の法被《はっぴ》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差したる中間《ちゅうげん》が附添い、此の藤新《ふじしん》の店先へ立寄って腰を掛け、列《なら》べてある刀を眺めて。
侍「亭主や、其処《そこ》の黒糸だか紺糸だか知れんが、あの黒い色の刀柄《つか》に南蛮鉄《なんばんてつ》の鍔《つば》が附いた刀は誠に善《よ》さそうな品だな、ちょっとお見せ」
 ——三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』(鈴木行三・校訂/編纂)より

◎息が合う、息を合わせる

 複数の人がおなじことをするとき、気分があってうまくものごとが進むとき、「息が合う」という。
 おなじように、うまくものごとを進めたいとき、「息を合わせよう」という。
 このときの「息」とは、呼吸そのもののことだ。
 自分と他人の呼吸を合わせるのは、共同作業において基本中の基本だといえる。

2012年8月22日水曜日

8月22日


◎今日のテキスト

 ぼくが6つのとき、よんだ本にすばらしい絵があった。『ぜんぶほんとのはなし』という名まえの、しぜんのままの森について書かれた本で、そこに、ボアという大きなヘビがケモノをまるのみしようとするところがえがかれていたんだ。だいたいこういう絵だった。
「ボアというヘビは、えものをかまずにまるのみします。そのあとはじっとおやすみして、6か月かけて、おなかのなかでとかします。」と本には書かれていた。
 そこでぼくは、ジャングルではこんなこともおこるんじゃないか、とわくわくして、いろいろかんがえてみた。それから色えんぴつで、じぶんなりの絵をはじめてかいてやった。
 ——アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『あのときの王子くん』(大久保ゆう・訳)より

◎ふたりで声をあわせて文章を読む

 音読療法では声をあわせておなじ文章をいっしょに読むことをしばしばやる。これにはいろいろなねらいと効果がある。
 ひとつには、声をそろえて読むためには相手の声も聞かなければならない、ということがある。自分勝手なリズムや文章の切り方、呼吸のしかたではなく、相手にあわせるために感受性を使う。このとき、感受性は自分の外側にむき、耳も身体もひらいていくのがわかる。
 そしてだれかといっしょに表現することの楽しさも発見できるだろう。

2012年8月21日火曜日

8月21日

◎今日のテキスト

 山田の中の一本足の案山子《かかし》
 天気のよいのに蓑笠《みのかさ》着けて
 朝から晩までただ立ちどおし
 歩けないのか山田の案山子

 山田の中の一本足の案山子
 弓矢で威《おど》して力んで居《お》れど
 山では烏がかあかと笑う
 耳が無いのか山田の案山子

 ——武笠《むかさ》三《さん》「案山子」より

◎仕事に行くときの呼吸法

 今朝、仕事に行くというのではなかったけれど、出かける用事があり、しかしいつもよりかなり早い時間に起きなければならなかったので、身体がだるくて動くのがつらかった。
 どんな人にもそういうことは時々あると思う。そういうときは呼吸法を試してみるといい。
 まずは細くゆっくりと肺の中の息をすべて吐ききる。吐ききったら、やはり細く長くゆっくりと吸っていく。肺がいっぱいになるまで吸いきる。いっぱいになったら、数秒間息をとめてこらえ、それからまたゆっくりと吐ききっていく。それを数回繰り返す。
 音読療法でいうところのホールブレッシングという呼吸法だが、活力が出にくいときはこの呼吸法が役立つ。

2012年8月20日月曜日

8月20日


◎今日のテキスト

 私は蒼空を見た。蒼空は私に泌みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。
 私は窶れていた。夏の太陽は狂暴な奔流で鋭く私を刺し貫いた。その度に私の身体は、だらしなく砂の中へ舞い落ちる靄のようであった。私は、私の持つ抵抗力を、もはや意識することがなかった。そして私は、強烈な熱である光の奔流を、私の胎内に、それが私の肉であるように感じていた。
 白い燈台があった。三角のシャッポを被っていた。ピカピカの海へ白日の夢を流していた。古い思い出の匂がした。佐渡通いの船が一塊の煙を空へ落した。海岸には高い砂丘がつづいていた。冬にシベリヤの風を防ぐために、砂丘の腹は茱萸《グミ》藪だった。日盛りに、螽《きりぎりす》が酔いどれていた。頂上から町の方へは、蝉の鳴き泌む松林が頭をゆすぶって流れた。私は茱萸藪の中に佇んでいた。
 ——坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」より

◎体重の抑制に呼吸法は有効なのか

 最近、ロングブレス・ダイエットなどというものが話題になっていて、呼吸法で体重のコントロールをすることが注目を集めている。それははたして有効なのだろうか。
 音読療法でおこなう呼吸法は、話題のロングブレス・ダイエットによく似た部分もあるけれど、ダイエット効果があるとはいいたくない。それは音読療法の真性さを損ないような気がする。
 もっとも、呼吸法はたしかに呼吸筋を含む深層筋を鍛えることは可能で、その結果基礎代謝を底上げすることはあるうるかもしれない。
 ともあれ、音読療法では「やせること」を目的とするのではなく「健康であること」を目的としている。

2012年8月19日日曜日

8月19日


◎今日のテキスト

 福田英子女史足下。婦人はよろしく婦人の天職を守るべしとは、多くの学者、文人、説教者、演説家等より我々の常に承るところなるが、そのいわゆる天職とははたしていかなるものなるか、それがハッキリと定められざるかぎりは、いかに温良、貞淑、従順なる今の世の婦人といえども、これを守らんことすこぶる困難なるべし。ゆえに小生はここに少しく婦人の天職を考察して、『世界婦人』に献じ、いささか足下の参考に供せんと欲す。
 ある人は、婦人の天職は結婚して夫に仕うるにありと言えり。小生考うるに、結婚もし天職なりとせば、そは婦人のみの天職にあらずして、また必ず男子の天職ならざるべからず。しからば何もとり立てて婦人の天職というほどのことなく、ただこれ人間の天職、動物の天職と言うべし。しからば夫に仕うるが、はたして婦人の天職なるかと考うるに、小生はすこぶるその理由を発見するに苦しむものなり。
 ——堺利彦「婦人の天職」より

◎マインドフルネスふたたび(三)

 マインドフルネスをめざすことは、よく、子どものような、あるいは動物のような刹那的な生き方をイメージされてしまうことがあるが、けっしてそうではない。
 ヒトは想像力を駆使して自分の、あるいは世界の理想をかんがえる。たとえば非戦であったり、非暴力であったり、自分の表現であったり。
 遠景にそのイメージを見据えたなかでの、いまここのマインドフルネスによって自分のパフォーマンスを最大に発揮できること。それがマインドフルネスのめざす地平だろうと私はかんがえる。

2012年8月18日土曜日

8月18日


◎今日のテキスト

 ここから見ると対岸の一《ひと》ところに支流の水のそそいでいるのがわかる。そこまでは相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるように見える。すなわち、直線的な一様な対岸がそこで割れているのだから、割目の感といったらよいかもしれない。しかしその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至っていない。
 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすために、対岸、つまりその支流のそそいでいる側の岸近くを歩いて、桐の木だの、胡桃の木だの、その他の雑木のあるところの日陰に腰をおろして休み休み、なお歩いて行った。自分は腰をおろして休むと眠気が出る、そういふ時にはうたたねをする。もう冬外套を着ていたので、顔をひくくして外套の襟のところにうずめるようにして眠る、十五分間も眠ればまた起きて歩みだすという具合である。
 ——齋藤茂吉「支流」より

◎マインドフルネスふたたび(二)

 チンパンジーが本当にそうなのかはチンパンジーに直接訊いてみたわけではないのでわからないが、動物は一瞬一瞬を生きていて、過去や未来や、ここではないどこかの思念・思考にとらわれることがなく、それは刹那的ともいえる。
 人の場合のマインドフルネスは、おなじような「いまここ」の一瞬一瞬を生きることには違いないのだが、刹那的ではなく、ある流れのなかにある一瞬だととらえることができる。
 たとえば家から最寄り駅にむかって歩いているとき、マインドフルネスを実現できたとしても、最寄り駅にむかうという行動の流れのなかにおける一瞬であろう。動物にも「流れ」はあるのかもしれないが、人の場合よりはっきりと目的性のある流れのなかにおけるマインドフルネスであって、それはけっして刹那的とはいわない。

2012年8月17日金曜日

8月17日


◎今日のテキスト

 病める枕辺《まくらべ》に巻紙状袋《じょうぶくろ》など入れたる箱あり、その上に寒暖計を置けり。その寒暖計に小き輪飾《わかざり》をくくりつけたるは病中いささか新年をことほぐの心ながら歯朶《しだ》の枝の左右にひろごりたるさまもいとめでたし。その下に橙《だいだい》を置き橙に並びてそれと同じ大きさほどの地球儀を据《す》えたり。この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨《そこつ》の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見てあればいささかながら日本の国も特別に赤くそめられてあり。台湾の下には新日本と記したり。朝鮮満洲吉林《きつりん》黒竜江《こくりゅうこう》などは紫色の内にあれど北京とも天津とも書きたる処なきは余りに心細き思いせらる。二十世紀末の地球儀はこの赤き色と紫色との如何《いか》に変りてあらんか、そは二十世紀初《はじめ》の地球儀の知る所に非《あら》ず。とにかくに状袋箱の上に並べられたる寒暖計と橙と地球儀と、これ我が病室の蓬莱《ほうらい》なり。
 枕べの寒さ計《ばか》りに新年の年ほぎ縄を掛けてほぐかも
 ——正岡子規『墨汁一滴』より

◎マインドフルネスふたたび(一)

 テレビ番組でやっていたそうだ。おなじ大脳が発達した霊長類でも、チンパンジーはヒトほどの想像力がないので「いまここ」のことしかかんがえず、したがってあれこれ想像したり記憶をよみがえらせたりして憂鬱におちいることもなく、トラウマもなく、一瞬一瞬にイキイキとしていられるのだ。それに比べてヒトは……という話。
 たしかにそのとおりだ。だからといって、マインドフルネスがチンパンジーになることをめざすのかというと、それはちがう。

2012年8月16日木曜日

8月16日


◎今日のテキスト

 金網の張ってある窓枠に両手がかゝって――その指先きに力が入ったと思うと、男の顔が窓に浮かんできた。
 昼になる少し前だった。「H・S製罐《せいかん》工場」では、五ラインの錻刀切断機《スリッター》、胴付機《ボデイ・マシン》、縁曲機《フレンジャー》、罐巻締機《キャンコ・シーマー》、漏気試験機《エアー・テスター》がコンクリートで固めた床を震わしながら、耳をろうする音響をトタン張りの天井に反響させていた。鉄骨の梁《はり》を渡っているシャフトの滑車《プレー》の各機械を結びつけている幾条ものベルトが、色々な角度に空間を切りながら、ヒタ、ヒタ、ヒタ、タ、タ、タ……と、きまった調子でたるみながら廻転していた。むせッぽい小暗い工場の中をコンヴェイヤーに乗って、機械から機械へ移っていく空罐詰が、それだけ鋭く光った。――女工たちは機械の音に逆った大きな声で唄をうたっていた。で、窓は知らずにいた。
 ——小林多喜二『工場細胞』より

◎運動しにくい夏は呼吸法を(三)

 呼吸は実はけっこうな運動で、とくに意識的に呼吸法をおこなった場合、すぐに身体がぽかぽかしてうっすらと汗をかきはじめることでも、それがわかる。
 息を吸うときには身体の表層にある筋肉を多く使い、息を吐くときには身体の深層にある筋肉を多く使う。とくに息を吐くときは、肋骨を下にさげて胸郭をせばめ、横隔膜を上に押し上げるために、内腹斜筋、外腹斜筋、腹横筋といった深層筋が動く。
 深層筋はいわゆるコアマッスルというもので、ここを強化することで腰痛予防や自律神経の調子を整えること、疲れにくい身体を作るなど、さまざなま効果が期待できる。
 暑くて運動する気になれなかった日は、せめて呼吸法で筋力強化をはかってみよう。

2012年8月15日水曜日

8月15日


◎今日のテキスト

 ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。つい最近にも、どこの市だったかしかとは覚えていないが、さる警察署長から上申書が提出されて、その中には、国家の威令が危殆《きたい》に瀕していること、警察署長という神聖な肩書がむやみに濫用されていること等が明記されていたそうである。しかも、その証拠だといって、件《くだん》の上申書には一篇の小説めいたはなはだしく厖大な述作が添えてあり、その十頁ごとに警察署長が登場するばかりか、ところによっては、へべれけに泥酔した姿を現わしているとのことである。そんな次第で、いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、ただ【ある局】というだけにとどめておくに如《し》くはないだろう。
 ——ニコライ・ゴーゴリ『外套』(平井肇・訳)より

◎運動しにくい夏は呼吸法を(二)

 音読療法ではいくつかの呼吸法をもちいるが、とくにストレッチ呼吸は呼吸筋を鍛えることに役立つ。
 ストレッチ呼吸については、この「音読日めくり」の2月17日から始まるいくつかの項をお読みいただきたい。
 呼吸は筋肉の収縮と弛緩によって作られる。よって、それを意図的におこなうことで、呼吸筋を鍛えることができる。筋肉を鍛える、つまり、運動の一種といえる。
 実際にストレッチ呼吸をおこなうと、血行がよくなり、筋肉が発熱して身体がぽかぽかしてくる。軽い運動をしたのと同様の効果が得られるのだ。

2012年8月14日火曜日

8月14日


◎今日のテキスト

 東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠《ほり》があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾哩もり道をしたものである。
 これは皆、その辺をよく歩いた貉のためである。
 ——小泉八雲「狢」(戸川明三・訳)より

◎運動しにくい夏は呼吸法を(一)

 現代人は運動不足であり、なにか運動をしないといけない、という強迫観念にとらわれているような気がする。そういう私もそのひとりだが。
 ゆえにスポーツクラブが繁栄したり、ジョギングブームが起こったりするのだろう。
 私も運動は嫌いではないが、さすがに猛暑の季節には積極的に運動をする気になれない。そのせいかどうか、体重は落ちない。というより増える。
 運動しなければ、という強迫観念もあるが、筋肉量を落としたくない、という冷静な意識もある。それには音読療法の呼吸法が有効ではないかとかんがえる材料がある。

2012年8月13日月曜日

8月13日


◎今日のテキスト

 むかし、むかし、あるところに、ちいちゃいかわいい女の子がありました。それはたれだって、ちょいとみただけで、かわいくなるこの子でしたが、でも、たれよりもかれよりも、この子のおばあさんほど、この子をかわいがっているものはなく、この子をみると、なにもかもやりたくてやりたくて、いったいなにをやっていいのかわからなくなるくらいでした。それで、あるとき、おばあさんは、赤いびろうどで、この子にずきんをこしらえてやりました。すると、それがまたこの子によく似あうので、もうほかのものは、なんにもかぶらないと、きめてしまいました。そこで、この子は、赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん、とばかり、よばれるようになりました。
 ——グリム兄弟「赤ずきんちゃん」(楠山正雄・訳)より

◎姿勢筋にがんばってもらって楽をする

 しゃべったり朗読したりするときに、どうも自分の声が届きにくい、響きがわるい、こもった感じがする、という印象を抱いている人がかなりいる。そういう人のようすを観察すると、たいてい座っていても立っていても骨盤が傾いて脊椎がのびやかに立っていないことがある。
 脊椎が立っていないとき、つまり骨盤が後ろ側に倒れているとき、腹部が縮んで圧迫され、横隔膜の動きが抑制されている。呼吸が浅くなり、緊張が声に現れてしまう。
 脊椎を立てて姿勢をまっすぐにしたとき、呼吸は逆に楽になり、声はリラックスして柔らかな響きが生まれる。

2012年8月12日日曜日

8月12日


◎今日のテキスト

 浅草公園で二三の興行物を経営している株式会社『月世界』の事務所には、専務取締役の重役がいつもの通り午前十時十五分前に晴々しい顔をして出て来た。美しく霽《は》れ上った秋の朝で、窓から覗《のぞ》くと隣りのみかど座の前にはもう二十人近くの見物人が開館を待っている。重役はずっとそれらを見渡して、満足そうに空を仰いだ。すぐ前にキネマ館が白い壁を聳《そばだ》てているので、夜前の雨に拭《ぬぐ》われ切った空が、狭く細い一部分しか見えない。併《しか》し重役はそこから輝き落ちる青藍の光芒《こうぼう》をじっと見やって眼をしばたたいた。
 ——久米正雄「手品師」より

◎初対面の人と話をする

 初めて会う人と話をするときはなにかと緊張しがちなものだ。この人はどんな人なのだろう、優しい人だろうか、こわい人だろうか、自分に好意を持ってくれるだろうか、会話ははずむだろうか。さまざまな心配で、つい緊張してしまい、ぎこちなくなって、相手に不信を与えてしまったりする。
 私の場合、初対面の人と話をするときは、ただ一点のことだけをかんがえている。それは、「この人はどんなことを大切にしているのだろうか」ということだ。相手がなにを大切にしていて、どんなことに価値を置いているのか。どんなニーズを持って自分と会っているのか。ただその一点に興味を持ちつづけて相手に接する。それだけのことで、初対面の相手ともうまくコミュニケートできるだろう。

2012年8月11日土曜日

8月11日


◎今日のテキスト

 土屋庄三郎は邸を出てブラブラ条坊《まち》を彷徨《さまよ》った。
 高坂《こうさか》邸、馬場邸、真田《さなだ》邸の前を通り、鍛冶《かじ》小路の方へ歩いて行く。時は朧《おぼ》ろの春の夜でもう時刻が遅かったので邸々は寂しかったが、「春の夜の艶《なまめ》かしさ、そこはかとなく匂ひこぼれ、人気《ひとけ》なけれど賑かに思はれ」で、陰気のところなどは少しもない。
「花を見るにはどっちがよかろう、伝奏《てんそう》屋敷か山県《やまがた》邸か」
 鍛冶小路の辻まで来ると庄三郎は足を止めたが、「いっそ神明の宮社《やしろ》がよかろう」
 こう呟くと南へ折れ、曽根の邸の裾を廻わった。
 ——国枝史郎『神州纐纈城』より

◎落ちこむ

 人はいろいろなことが原因で落ちこんでしまうことがあるけれど、私の場合はこういうことがある。
 音読療法にしても現代朗読にしても、その理念や考え方を人に説明する機会が多い。自分ではうまく説明できたと思っても、そのことが実は全然伝わっていないことがある。
 ある人が別の日に、別の人や本の説明で理解して、「やっとわかりました」といわれたときなど、自分の説明がうまくいかなかったことについて大変落ちこんでしまう。
 人になにかを理解してもらうということは、大変むずかしい問題をはらんでいる。

2012年8月10日金曜日

8月10日


◎今日のテキスト

 わたしは捨て子だった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣けばきっと一人の女が来て、優しくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら暖めてくれた。その歌の節《ふし》も文句も、いまに忘れずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを探しに来て、麻の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしは遊び仲間とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、優しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの肩をもってくれた。
 ——マロ『家なき子』(楠山正雄・訳)より

◎人生の後半に光があること(二)

 人は若くても年老いても、いずれもひとしく、過去を生きているのではないし、未来を生きることもできない。いま、この瞬間を生きているのが事実だ。
 年老いて「あと残り時間がどのくらいあるだろう」と計算するのもいいけれど、それ以上にいま生きているこの瞬間に全力をそそぎ、マインドフルにすごす。その積み重ねしか人生と時間を輝かせることはできない。
 若いころの人生にどれだけの後悔があろうとしても、いまこの瞬間をマインドフルに生きること。それがいまと、これからの人生に光をもたらしてくれる。

2012年8月9日木曜日

8月9日


◎今日のテキスト

 八月の曇った日である。一方に海があつて、それに鉤手《かぎのて》に一連の山があり、そしてその間が平地として、汽車に依って遠国の蒼渺たる平原と連絡するような、あるやや大きな町の空をば、この日例《いつ》になく鈍い緑色の空気が被《おお》っている。
 大きな河が海に入る処では盛んな怒号が起った。末広がりになった河口までは大河は全く平滑で、殆ど動《どう》とか力とかいふ感じを与えない、鼠一色《いっしき》
の静止の死物であるように見えていながら、一旦海の境界線と接触を持つとたちまち一帯の白浪が逆巻き上り、そして(遠くから見ていると)それが崩れかけた頃になって(近くで聴いたならば、さぞ恐しい音響であろうと思はれるほどの)音響が、遠くの雷鳴のように響いた。
 ——木下杢太郎「少年の死」より

◎人生の後半に光りがあること(一)

 私はすでに五十代なかばをこえ、昔でいえば立派な老人であり、現代でも初老にさしかかっているといってもいい年齢である。
 五十代から六十代というと、子どものころはもう死を待つだけの寂しい年齢のように思っていたし、自分がそのような年齢になるとは想像もできなかったのだが、実際にこの年齢になってみるとそう寂しいことではないとわかる。
 若いころにはずいぶんおろかに時間をすごしたり、あやまちを犯したりしたので、その埋め合わせをするようなところもあるが、それ以上に自分の力がわかり、また自分の力にまだまだのびしろがあることに気づくこともあって、悪いことばかりではない。
 残り人生に光明をもたらすためには、どのような生き方をすればいいのだろうか。

2012年8月8日水曜日

8月8日


◎今日のテキスト

 かなしきものは秋なれど、また心地好きものも秋なるべし。春は俗を狂せしむるに宜《よけ》れど、秋の士を高うするに如《し》かず。花の人を酔わしむると月の人を清《す》ましむるとは、自《おのづ》から味《あじはい》を異にするものあり。喜楽の中に人間の五情を没了するは世俗の免かるる能《あた》わざるところながら、われは万木凋落《ちょうらく》の期に当りて、静かに物象を察するの快なるを撰ぶなり。
 ——北村透谷「秋窓雑記」より

◎便秘解消の呼吸法

 私は幸いにしてあまり便秘とは縁のない人間だが、たまに便秘になることはある。顕著なのは旅行に出たときだ。数日まったく出なくて、帰宅してからもしばらくリズムが戻らなくて苦労することがたまにある。
 そういうときに役立つのが音読療法の呼吸法だ。とくにボトムブレスという「吐くこと」に意識を向けつづける呼吸法が、とても効果的だ。
 ボトムブレッシングは副交感神経を優位にして、消化器官の働きをうながす。腸の蠕動運動が起こるので、さらに合わせて体幹をひねるストレッチ運動をしてやると効果が増す。
 便秘気味になったとき、最近はいつもそれで快適に乗りきっている。

2012年8月7日火曜日

8月7日

◎今日のテキスト

 お乳のよに白い大理石の壁に、
 絹《きぬ》の柔軟《しな》したうすい膜《かわ》つけて、
 すいて凝《こご》った泉の中に
 金のりんごがみえまする。
 そのお城に戸一つないので、
 どろぼうどもまでわりこんで金のりんごをぬすみだす。
 ——北原白秋・訳『まざあ・ぐうす』より「卵」

◎即興性・柔軟性

 音読療法では即興性と柔軟性を大切にしている。
 実際に音読ケアをおこなってみるとわかるが、クライアントにはさまざまなケースがある。相手がひとりか複数かでもちがうし、年齢や性別もまちまち。それぞれの身体の状態や体力もちがう。そういった相手に一律のプログラムでケアをおこなうことはできない。
 音読療法ではケアプログラムをユニット化していて、療法士(ボイスセラピスト)がそれぞれ自分の裁量で即興的に、柔軟にユニットを組み替えたり、自分の工夫で味付けしたりできるようにしている。
 音読療法協会では権威を主張してプログラムを厳格に実施することよりも、音読療法の本質と目的さえあやまらなければ療法士の主体性を尊重する方針をとっている。

2012年8月6日月曜日

8月6日


◎今日のテキスト

 市九郎《いちくろう》は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識している市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。彼は、ただこうした自分の迷いから、命を捨てることが、いかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義をいい立てられて切りつけられた時、あり合せた燭台を、早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。が、五十に近いとはいえ、まだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を、攻撃に出られない悲しさには、いつとなく受け損じて、最初の一太刀を、左の頬に受けたのである。
 ——菊池寛『恩讐の彼方に』より

◎風土(六)

 人口流動が大きい土地というのは、たとえば港町であったり、地方の中心都市であったり、幹線の途中にある街(昔なら宿場町)などだ。
 そういった土地にも特有の風土があり、それに影響を受けた地域性の偏重が起こりうるが、それ以上に流入人口があれば偏重を保持しにくくなる。また流入人口によってもたらされた新鮮な空気の影響もある。
 人口移動がかつてないほど非常に大きくなった現代においては、しだいに風土による地域的な個性の偏重は少なくなりつつあるが、実社会においてはまだまだ根強く残っているというのが現実だろう。

2012年8月5日日曜日

8月5日

◎今日のテキスト

 人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願ふ。彼はその人を罵詈しない。彼はその人の肉體を傷けない。彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な蟲類や動物までも除外しない。それ等の生物は、吾々の破壞的性癖を滿足させるように作られてゐるのではない。若し吾々が造物主の心を知ることさへ出來たならば、吾々は造物主が彼等を創造した意義を發見するだらう。故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。それは純粹の愛である。私が印度經の諸聖典や、バイブルや、コーランの中に讀むところのそれだ。
 ——エム・ケー・ガンヂー「非暴力」(福永渙・訳)より

◎風土(五)

 気候、地形といった自然環境から人は影響を受けるが、それ以上にその土地に形成された地域的コミュニティは自然環境から受けた影響を増幅させやすい。つまり、風土から影響された地域個性をさらに極端に強調する方向に動く。とくに人口が流動しない土地——山間部の盆地や平地(岩手の遠野などもその一例)、極端に入り組んだ海岸の奥まった津、落人部落など——は風土から来る人々の性質に偏向が強調される。
 逆に流動的な土地は偏向が起こりにくい。

2012年8月4日土曜日

8月4日


◎今日のテキスト

私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。一つは渓《たに》に沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊橋《つりばし》を渡って入ってゆく山径だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。それに比べて山径の方は陰気ではあったが心を静かにした。どちらへ出るかはその日その日の気持が決めた。
しかし、いま私の話は静かな山径の方をえらばなければならない。
——梶井基次郎「筧の話」より

◎風土(四)

私のところにはいろいろな土地の出身者がやってくる。活動拠点が東京なので東京に住んでいる人が多いのだが、みんなが東京出身というわけでもない。むしろ地方出身者のほうが多いだろう。東京とはそういう土地なのだ。
静岡や愛知の人はほがらかな感じの人が多い。もちろん人の性格というのは個人差が大きく、静岡の人が全員ほがらかというわけではないことは当然だが、ほがらかな感じの人の割合が多いのは、私の経験からいえば確かなことのように思える。県民性という言葉もある。
風土とひとことでいうが、では具体的にどんなものから「自分の性格や人間性の形成」に影響を受けるのだろうか。

2012年8月3日金曜日

8月3日

◎今日のテキスト

「プレゼントのないクリスマスなんか、クリスマスじゃないわ。」と、ジョウは、敷物の上にねそべって不平そうにいいました。
「貧乏ってほんとにいやねえ。」と、メグはじぶんの着古した服を見ながらため息をつきました。
「ある少女が、いいものをたくさんもち、ある少女が、ちっとも、もたないなんて、不公平だと思うわ。」と、小さいエミイは、鼻をならしながらいいました。
「でもね、あたしたちは、おとうさんもおかあさんもあるし、こうして姉妹があるんだもの、いいじゃないの。」と、ベスが、すみのほうから満足そうにいいました。
ストーブの火に照らしだされた四つのわかわかしい顔は、この快活な言葉でいきいきとかがやきましたが、ジョウが悲しそうに、
「だって、おとうさんは従軍僧で戦争にいっておるすだし、これからも長いことお目にかかれないと思うわ。」と、いったとき、またもやくらい影におおわれ、だれもしばらく口をききませんでした。
 ——ルイザ・メイ・オルコット『若草物語』(水谷まさる・訳)より

◎風土(三)

 北陸の山間部や京都の人々が持つ(私をふくむ)二面性に気づいたのは、そういう二面性のない風土が存在すると知ったときだ。
 学生時代、漁村で生まれ育った女性と親しくなった。彼女は実にストレートなものいいで、自分の思ったことははっきりと伝える、あるいはまったく伝えない、のどちらかしかない。自分の思ったことを「相手にどう受け取られるか」をおもんぱかって別の言葉にいいかえたり、オブラートにくるむという発想はまったくない。それは彼女が生まれ育った環境がそうさせたのだ。

2012年8月2日木曜日

8月2日

◎今日のテキスト

「おに」と言ふ語《ことば》にも、昔から諸説があつて、今は外来語だとするのが最勢力があるが、おには正確に「鬼」でなければならないと言ふ用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うてゐる。さて、日本の古代の信仰の方面では、かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、ものとの四つが、代表的なものであつたから、此等に就て、総括的に述べたいと思ふのである。
鬼は怖いもの、神も現今の様に抽象的なものではなくて、もつと畏しいものであつた。今日の様に考へられ出したのは、神自身の向上した為である。たまは眼に見え、輝くもので、形はまるいのである。ものは、極抽象的で、姿は考へないのが普通であつた。此は、平安朝に入つてから、勢力が現れたのである。
 ——折口信夫「鬼の話」より

◎風土(二)

 北陸の山間部に生まれ育ったので、そこの風土や人々の気質があたりまえだったけれど、高校を卒業して最初に移り住んだ京都で、ずいぶんとその土地によって考え方や態度が違うことを実感した。
 といっても、あとから考えると、京都という特殊な土地と、北陸の山間部の風土は、ちょっと似たところもあった。多くの人々は二面性に生きている。つまり本音と建前がはっきりとあって、私自身は自分がそのような二面性を持っていることに長らく気づけなかった。

2012年8月1日水曜日

8月1日

◎今日のテキスト

 朝からどんより曇《くも》っていたが、雨にはならず、低い雲が陰気《いんき》に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。午後になると急に暗さが増して行った。しぜん人も馬も重苦しい気持に沈《しず》んでしまいそうだったが、しかしふと通《とお》り魔《ま》が過ぎ去った跡《あと》のような虚《むな》しい慌《あわただ》しさにせき立てられるのは、こんな日は競走《レース》が荒《あ》れて大穴が出るからだろうか。晩秋の黄昏《たそがれ》がはや忍《しの》び寄ったような翳《かげ》の中を焦躁《しょうそう》の色を帯びた殺気がふと行き交っていた。
 ——織田作之助『競馬』

◎風土(一)

 人は生まれ育った土地の自然環境や風習、風土の影響を強く受けて、その性質を形成していく。
 私は北陸の山間部に生まれ、育った。十八歳になるまでそこですごした。
 山間部というのは盆地であり、中心部には九頭竜川という大きな川が流れていた。まわりは白山山系の険しい山並みに囲まれていて、日の出は遅く、日の入りは早いような「窪み」のような街だった。
 そういう地に生活している人々がどのような精神性を持つのか。これは私自身をもって検証できる観察例だが、私自身は逆にそのような土地ではなく、海や広々した風景に強いあこがれを持ちながら育った。それはいまにいたっても自覚できる。