2012年2月29日水曜日

2月29日

◎今日のテキスト

 菜の花畑で眠っているのは……
 菜の花畑で吹かれているのは……
 赤ン坊ではないでしょうか?

 いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
 ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
 菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど

 走ってゆくのは、自転車自転車
 向うの道を、走ってゆくのは
 薄桃色の、風を切って……

 薄桃色の、風を切って
 走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲《しろくも》
 ――赤ン坊を畑に置いて

 ——中原中也『在りし日の歌』より「春と赤ン坊」

◎マインドフルネスについて「過去でも未来でもなく」

 大脳皮質が発達しすぎたせいで、すでに起こってしまったこと、あるいはまだ起こってもいないことに人は悩まされる。過去に起こった災害や事件のイメージにいつまでもとらわれてそのことが頭から離れなかったり、今後またそういうことが起こりはしないだろうか、もっとひどい目にあうんじゃないだろうか、という想像に取りつかれたりする。
 そういうとき、「いまここ」というマインドフルネスの意識が役に立つ。いまこの瞬間の自分の呼吸のこと、身体のこと、自分を取り巻く環境のことに意識を向けることができれば、過去や未来の悪いイメージから抜け出て現在の自分に戻ってこれる。そして現在の自分の状況を確かめられれば、落ち着きを取りもどすことができる。

2012年2月28日火曜日

2月28日

◎今日のテキスト

 うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂《とんきょう》な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。
 女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。
 三輪田《みわた》のお光《みつ》さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。
 ——夏目漱石『三四郎』より

◎マインドフルネスについて「いやなこと」

 台所に洗い物がたまっている。洗わなければならない。しかし見たいテレビ番組がある。ゆっくりテレビを見たいので、急いで洗い物を片付けてしまうことにしよう。
 そんなとき、洗い物をしている人は洗い物にまったく意識が向いていない。早くテレビを見たいと気があせっていて、洗い物のことや、洗い物をしている自分自身の存在をほとんど意識していない。意識されていない自分の存在は、自分自身から「無視」され、ある意味「死んでいる」といってもいいかもしれない。
 どちらにしても洗い物をするなら、洗い物をしている自分自身も大切に意識してやりたい。それがマインドフルネスということだ。「いまここ」にある自分自身を丁寧に扱ってやること。これが基本である。

2012年2月27日月曜日

2月27日

◎今日のテキスト

 ああいいな せいせいするな
 風が吹くし
 農具はぴかぴか光っているし
 山はぼんやり
 岩頸《がんけい》だって岩鐘《がんしょう》だって
 みんな時間のないころのゆめをみているのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁欲のそら高く掲《かか》げられていた
 山はぼんやり
 きっと四本杉には
 今夜は雁もおりてくる
 ——宮沢賢治『春と修羅』より「雲の信号」

◎マインドフルネスについて「マインドレス」

 マインドフルというのは、自分の意識が「いまここ」の自分自身の存在とそれを取り巻く世界に「気づいて」いて、自分の全体を使って自分自身であることを感じている状態のことだ。しかし現代人はしばしば「マインドレス」な状態で大半の時間をすごしている。
 意識は「いまここ」になく、過去に起こったできごとやまだ起こってもいないことをぐるぐる考えていたり、ここにはない場所のここにはいない人のことを考えていたり、といった時間を実に多くすごしている。洗い物をしていても、電車に乗っていても、いまここにいる自分自身に意識は向けられておらず、思考の世界にとらわれている。
 自分が「いまここ」に意識を向けることでどれだけ「生きた」時間をすごせるか、そしてストレス対策などさまざまな問題を解決するのに役立ちのか、何回かに分けて書いてみたい。

2012年2月26日日曜日

2月26日

◎今日のテキスト

 従《じゅ》四位下《いのげ》左近衛少将《さこんえのしょうしょう》兼越中守《えっちゅうのかみ》細川忠利《ほそかわただとし》は、寛永十八年辛巳《しんし》の春、よそよりは早く咲く領地肥後国《ひごのくに》の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤《さんきん》の途《みち》に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆《いっき》のとき賊将天草《あまくさ》四郎時貞《ときさだ》を討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》、阿部豊後守《あべぶんごのかみ》、阿部対馬守《あべつしまのかみ》の連名の沙汰書《さたしょ》を作らせ、針医以策《いさく》というものを、京都から下向《げこう》させる。続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、曽我又左衛門《そがまたざえもん》という侍《さむらい》を上使につかわす。大名に対する将軍家の取扱いとしては、鄭重《ていちょう》をきわめたものであった。島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸の邸《やしき》に添地《そえち》を賜わったり、鷹狩《たかがり》の鶴《つる》を下されたり、ふだん慇懃《いんぎん》を尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのも尤《もっと》もである。
 ——森鴎外『阿部一族』より

◎現代人のストレス対策

 私たちは精神的にも肉体的にも、毎日、たえず数多くのストレスにさらされている。これにたいし「打たれ強さ」を作ろうという考え方もある。教育現場やスポーツ指導の場などでよく見られるが、強いストレスをあたえて耐性を作ろうという考え方だ。ある意味では有効な方法だが、音読療法ではその考え方は用いない。
 ストレス耐性を強くするには感受性の一部を鈍磨させる必要がある。そうではなく、繊細で柔軟な感受性をそこなうことなく、逆にそれを育みながら、「ストレスに対処できるスキルを持つ」という考え方だ。
 その方法の入口に呼吸法があり、瞑想があり、マインドフルネスがある。

2012年2月25日土曜日

2月25日

◎今日のテキスト

 桜の花の散りゆくころ、やわらかく萌えわたる若葉の頃、その頃の旅の好みを私は海よりもおおく山に向って持つ。山と言っても、青やかな山と山との大きな傾斜が落ち合うような、深い溪間が恋しくなる。
 上州の吾妻川《あがつまがわ》は渋川町で沼田の方から来た利根川と落ち合っているが、その渋川町から十里ほど溯ったあたりに普通に関東耶馬溪と呼びなされている溪谷がある。両岸は切り立ったような断崖で、その断崖には意外なほど多くの樹木が生えている。その相迫った断崖の底に極めて細く深く青み湛えた淵は、時にまた雪白な飛沫をあげた奔湍となつて流れ下る。
 溪流そのものも矢張り他に見られぬ面白さを持っているが、私はことにその流を挾む両岸の断崖に茂っている木立を愛するものである。樹は多く年を経た老樹で、土気とぼしい岩の間に、ほとんど鉱物化したようなその根を張り枝を伸ばして、形あやしく立っている。私が初めそこを見たのは秋の末、落葉の頃であった。いわゆる寒厳枯木《かんがんこぼく》の風情《ふぜい》は充分に眺められたが、それを見るにつけても若葉の頃がなお一層にしのばれた。
 ——若山牧水『樹木とその葉』より「若葉の頃と旅」の一部

◎日めくりの葉っぱスケッチについて

「葉っぱのスケッチは毎日描いてるんですか」
 とよく聞かれる。
 そうです、と答えると、たいていの人はびっくりする。描きためてあったものを、日付だけ描きこんで、一枚ずつ出していると思われていることが多いらしい。実際には、毎日一枚、翌日に出すものを描いている。
 所用時間は30分程度。こみいったものはもう少し時間がかかる。
 本当は少しは描きためて、心の余裕を持ちたいのだが、なかなか描きためることができない。一枚描くと力つきて、1日に二枚三枚と描くことがむずかしい。よほど余裕のある日にそういうことをやっておきたいのだが、そういう日はなかなか来ない。
 でも、葉っぱを描くのは楽しい。描く葉っぱがつきたら、なにか別のものを描くかもしれない。

2012年2月24日金曜日

2月24日

◎今日のテキスト

こころよ
では いつておいで

しかし
また もどつておいでね

やつぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行つておいで
——八木重吉『秋の瞳』より「心 よ」

◎声を出しながらの呼吸「ハミング」その3

ハミングにおける声帯の震動を、身体のいろいろな場所に向けてみる意識を持つ。
胸に手をあて、ハミング呼吸をする。胸板(胸骨)にも震動が伝わっているのがわかると思う。そこにさらに震動を伝える意識で、ハミングに方向性をあたえる。うまくすれば胸に伝わる震動が強まるのがわかるはずだ。これを2、3度繰り返す。
次に、やや難しいが、お腹のみぞおちとへその中間あたりに手をあて、そこに声帯の震動を送りこむ意識でハミングする。音程をさげるとやりやすいかもしれない。これも2、3度繰り返す。
今度は頭のなか、両目の上の奥のほうに震動を送りこむ。これも手をあてて。音程をあげるとやりやすいだろう。
最後に胸に手をもどし、ふたたび胸にハミングの震動を感じながら、1、2度おこなって、終える。

2012年2月23日木曜日

2月23日

◎今日のテキスト

 ま、綺麗やおへんかどうえ
 このたそがれの明るさや暗さや
 どうどつしやろ紫の空のいろ
 空中に女の毛がからまる
 ま、見とみやすなよろしゆおすえな
 西空がうつすらと薄紅い玻璃みたいに
 どうどつしやろえええなあ

 ほんまに綺麗えな、きらきらしてまぶしい
 灯がとぼる、アーク燈も電気も提灯も
 ホイツスラーの薄ら明かりに
 あては立つて居る四条大橋
 じつと北を見つめながら

 虹の様に五色に霞んでるえ北山が
 河原の水の仰山さ、あの仰山の水わいな
 青うて冷たいやろえなあれ先斗町の灯が
 きらきらと映つとおすわ
 三味線が一寸もきこえんのはどうしたのやろ
 芸妓はんがちららと見えるのに
 ——村山槐多「京都人の夜景色」より

◎声を出しながらの呼吸「ハミング」その2

 ボトムブレッシングとおなじ呼吸を使って、今度は響きを意識しながらハミングをする。
 ハミングするときは唇を閉じているが、口のなかに空間を作る。「も」という発音をする寸前の口の形は、唇は閉じているが口のなかには空間ができている。その形を保ってハミングする。すると口のなかにも声帯の響きが送りこまれ、唇やその周辺にも震動が伝わってくるはずだ。
 ためしに指を唇やその周辺にあててみよう。声帯の振動がそのまま唇のまわりにも伝わっているのが感じられるだろう。
 伝わってくる震動を指で確認しながら、ハミング呼吸をする。

2012年2月22日水曜日

2月22日

◎今日のテキスト

 さ霧消ゆる湊江《みなとえ》の、
 舟に白し、朝の霜。
 ただ水鳥の声はして、
 いまだ覚めず、岸の家。

 烏鳴きて木に高く、
 人は畑に麦を踏む。
 げに小春日ののどけしや。
 かへり咲きの花も見ゆ。

 嵐吹きて雲は落ち、
 時雨《しぐれ》降りて日は暮れぬ。
 もし燈《ともしび》のもれ来ずば、
 それと分かじ、野辺の里。
 ——文部省唱歌「冬景色」作者不詳

◎声を出しながらの呼吸「ハミング」その1

 ボトムブレッシングとおなじ呼吸を使って、ハミングをする。
 ハミングとは、口を閉じて、鼻から息を出しながら声を出す方法だ。声帯の震動を鼻腔に響かせる。
 平常時、口の中は閉じていて空間はないが、鼻腔は常時空間がある。また、食道も平常は閉じているが、気道は常時開いている。ここに響きを感じる意識をする。
 口を閉じて「んー」といいながら、息を吐いていく。吐ききったら、力をゆるめ、空気が自然に入ってくるに任せる。これを何度か繰り返す。
 声の音程や強さや息を吐く速度は、まずは一番楽でニュートラルな感じを探しておこなってみる。

2012年2月21日火曜日

2月21日

◎今日のテキスト

猫の耳というものはまことに可笑《おか》しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛《じゅうもう》が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪《たま》らなかった。これは残酷な空想だろうか? 否。まったく猫の耳の持っている一種不可思議な示唆《しさ》力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓《つね》っていた光景を忘れることができない。
――梶井基次郎「愛撫」より

◎音読の呼吸「ボトムブレス」

 音読や朗読の呼吸法としてもっとも重要であり、また副交感神経を活性化するために有効な呼吸法である。

 ホールブレスの「吐く」ほうだけを使う。
 みぞおちと臍の中間あたり、横隔膜の下のあたりを意識し、そこから息をゆっくりと吐きだしていく。
 全部吐いたら、「フッ、フッ」と最後まで絞りきるように吐ききる。
 力をゆるめ、姿勢を立てると、自然に肺に息が入ってくる。そのとき、意図的に吸う必要はない。横隔膜より上の、胸回りの筋肉はなるべく使わないようにする。
 自然に入ってきた空気を、ふたたびおなじ方法で吐ききっていく。これを数回くりかえす。五回くらいくりかえしてみよう。

2012年2月20日月曜日

2月20日

◎今日のテキスト

それらの夏の日々、一面に薄《すすき》の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色《あかねいろ》を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように…… ――堀辰雄「風立ちぬ」より

◎ストレッチ呼吸の利用法

右肺のストレッチ呼吸をおこなったら、おなじ要領で左肺のストレッチ呼吸をおこなう。

これで、
(1) 正常姿勢での肺全体のストレッチ呼吸
(2) 背中側を意識した呼吸
(3) 胸側を意識した呼吸
(4) 左右それぞれの肺を意識した呼吸
というストレッチ呼吸の組み合わせが終了。
これらは立っていても座っていてもできるが、初めは立っておこなったほうが効果的である。
ところで、よく前記の「今日のテキスト」と「呼吸法」の関係を聞かれることがあるが、とくに連動してやる必要はない。呼吸法は呼吸法として独立しておこなう。テキストはできれば声に出し、内容をしっかりイメージしながら何度か繰り返し読むことをおすすめする。暗唱するまで読みこめば脳のトレーニングにもなるだろう。

2012年2月19日日曜日

2月19日

◎今日のテキスト

西陽の射してゐる洗濯屋の狭い二階で、絹子ははじめて信一に逢つた。 十二月にはいつてから、珍らしく火鉢もいらないやうな暖かい日であつた。信一は始終ハンカチで額を拭いてゐた。
絹子は時々そつと信一の表情を眺めてゐる。
長らくの病院生活で、色は白かつたけれども少しもくつたくのないやうな顔をしてゐて、耳朶の豊かなひとであつた。顎が四角な感じだつたけれども、西陽を眩しさうにして、時々壁の方へ向ける信一の横顔が、絹子には何だか昔から知つてゐるひとででもあるかのやうに親しみのある表情だつた。
信一はきちんと背広を着て窓のところへ坐つてゐた。仲人格の吉尾が、禿げた頭を振りながら不器用な手つきで寿司や茶を運んで来た。
「絹子さん、寿司を一つ、信一さんにつけてあげて下さい」
さう云つて、吉尾は用事でもあるのか、また階下へ降りて行つてしまつた。寿司の上をにぶい羽音をたてて大きい蝿が一匹飛んでゐる。絹子はそつとその蝿を追ひながら、素直に寿司皿のそばへにじり寄つて行つて小皿へ寿司をつけると、その皿をそつと信一の膝の上へのせた。信一は皿を両手に取つて赧くなつてゐる。絹子はまた割箸を割つてそれを黙つたまま信一の手へ握らせたのだけれども、信一はあわててその箸を押しいただいてゐた。
ふつと触れあつた指の感触に、絹子は胸に焼けるやうな熱さを感じてゐた。
信一を好きだと思つた。
――林芙美子「幸福の彼方」より

◎ストレッチ呼吸「肺の左右をそれぞれストレッチ」

まず右の肺から。
右手を上に伸ばして、頭の左側をつかむ。そのまま頭を左に傾けながら、肘から右脇腹にかけてグーンと伸ばす。
その状態でまず息を口から全部吐きだし、吐ききったあとに、鼻からゆっくりと吸っていく。そのとき、伸びている右側がさらに伸びるように、右の肺に空気をいれてふくらませていくイメージで、いっぱいに吸いこむ。
右肺が満杯になったと感じたら、いったん止めてから、口から自然に息を抜き、あとは自然呼吸に戻す。

2012年2月18日土曜日

2月18日

◎今日のテキスト

 まだあげ初《そ》めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛《はなぐし》の
 花ある君と思いけり
 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたえしは
 薄紅《うすくれない》の秋の実に
 人こい初めしはじめなり
 わがこころなきためいきの
 その髪の毛にかかるとき
 たのしき恋の盃《さかずき》を
 君が情《なさけ》に酌《く》みしかな
 林檎畑の樹《こ》の下に
 おのずからなる細道は 誰《た》が踏みそめしかたみぞと
 問いたまうこそこいしけれ
 ――島崎藤村『若菜集』より「初恋」

◎ストレッチ呼吸「肺の胸側をストレッチ」

 今度は逆に、背中に両腕を回して組みます。背中の肩甲骨をギュッと寄せるようにして背中を全体を縮こまらせ、逆に胸を大きく広る。天をあおぐように上を向いてもいい。
 そのまま口から息を全部吐きだしていき、最後まで「フッ、フッ」と吐ききる。
 吐ききったら鼻から息をゆっくりと吸いこんでいく。そのとき開いた胸の前のほうに息が入っていくのをイメージするる。背中のときと同様、胸の前のほう全体が呼吸によって風船のようにパーンとふくらむイメージ。
 息をいっぱいに吸いきったら、口から自然に息を吐き、自然呼吸に戻す。

2012年2月17日金曜日

2月17日

◎今日のテキスト

 富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁《ぶんちょう》の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢《きゃしゃ》である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとえば私が、印度《インド》かどこかの国から、突然、鷲にさらわれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだろう。ニッポンのフジヤマを、あらかじめ憧れているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのような俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴え得るか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。裾のひろがっている割に、低い。あれくらいの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
 ――太宰治『富嶽百景』より

◎ストレッチ呼吸「肺の背中側をストレッチ」

 胸の前で両腕を抱えるように組んで、胸をできるだけちぢこませる。逆に背中は丸く大きく広げるように意識する。
 そのまま口から息を全部吐きだしていき、最後まで「フッ、フッ」と吐ききる。
 吐ききったら鼻から息をゆっくりと吸いこんでいくが、そのとき背中側に息が入っていくことをイメージし、丸く広げた背中がさらに大きくふくらんでいくようにする。背中全体が呼吸によって風船のようにピンとふくらむようなイメージ。
 息をいっぱいに吸いきったら、口から自然に息を吐き、自然呼吸に戻す。

2012年2月16日木曜日

2月16日

◎今日のテキスト

 汚れつちまつた悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れつちまつた悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる

 汚れつちまつた悲しみは
 たとへば狐の革裘かはごろも
 汚れつちまつた悲しみは
 小雪のかかつてちぢこまる

 汚れつちまつた悲しみは
 なにのぞむなくねがふなく
 汚れつちまつた悲しみは
 倦怠けだいのうちに死を夢む

 汚れつちまつた悲しみに
 いたいたしくも怖気おぢけづき
 汚れつちまつた悲しみに
 なすところもなく日は暮れる……
 ――中原中也『みちこ』より「汚れつちまつた悲しみに……」

◎音読の呼吸「ホールブレス」

 これまで三日間でやった「吐ききる」呼吸、「満肺まで吸う」呼吸、そして肛門を絞めてふたたび吐く、というサイクルを「ホールブレス」と名付けている。最後の「吐く」を「吐ききる」に変えてそのまま何度かサイクルをつづけてもいいし、一回ごとに休みながら何度かやってもいい。一回だけでも一定の効果が期待できる。
 この呼吸法は呼吸筋のストレッチと鍛錬になるので、まずこの呼吸法からスタートするのがいい。
 呼吸法は不随意神経系である自律神経にアクセスする方法のひとつだが、息を吐くときには副交感神経を、吸うときには交感神経を刺激するといわれている。

2012年2月15日水曜日

2月15日

◎今日のテキスト

 十月早稲田に移る。伽藍《がらん》のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖《ほおづえ》で支えていると、三重吉《みえきち》が来て、鳥をお飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。
 文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗な鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。ところが三重吉は是非御飼いなさいと、同じような事を繰り返している。うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。
 すると三分ばかりして、今度は籠《かご》をお買いなさいと云いだした。これも宜《よろ》しいと答えると、是非お買いなさいと念を押す代りに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶ込み入ったものであったが、気の毒な事に、みんな忘れてしまった。ただ好いのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高価《たかい》のでなくっても善《よ》かろうと云っておいた。三重吉はにやにやしている。
 ――夏目漱石「文鳥」より

◎音読の呼吸「骨盤底筋群を緊張させる」

 いっぱいに息を吸ったあとは、いったん息を止めてそれから吐いていくわけだが、そのときにひとつコツがある。
 肺をふくらませたり縮ませたりする筋肉、すなわち呼吸に関係する筋肉はたくさんあるのだが、とくに肺の下部にくっついている横隔膜は重要だ。これも筋肉の一種で、肺の下側にくっついているほか、腹膜の上に乗っかっているともいえる。腹膜というのは腹部の内臓を包んでいる薄い膜で、袋状のものだ。
 腹膜の一番下には「骨盤底筋群」という筋肉群が内臓を下から支えている。この筋肉群も呼吸とともに動く。つまり横隔膜と連動している。
 息を吐くときに、この骨盤底筋群を緊張させておくと、横隔膜もがんばらなければならないために、一種の筋トレ効果がある。
 骨盤底筋群を緊張させるためには、お尻の穴をキュッと絞めればいい。息を吐くときに、肛門をギュッと絞めなが、ゆっくりと吐いていく。
 ちなみに、息を吸うときには鼻から、吐くときには口から、というのがわかりやすいが、両方とも鼻でも問題はない。

2012年2月14日火曜日

2月14日

◎今日のテキスト

 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢《ふちざわ》川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴《ほらあな》ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。
 中山街道はこのごろは誰《たれ》も歩かないから蕗《ふき》やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁《に》げて登らないように柵《さく》をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。
 ――宮沢賢治「なめとこ山の熊」より

◎音読の呼吸「満肺まで吸う」

 息を吐ききったあとは、ゆっくりと吸っていく。
 吐くのは口から吐いても鼻から吐いてもいいが、吸うときはできれば鼻から。
 お腹のみぞおちとおへその間のあたり胃があるあたりに、ゴムボールがひとつ入っているイメージで、そこへ鼻から空気を入れてふくらませていく。コツは、いきなり肺全体に息を入れようとせず、お腹の中心部からふくらませていって、最後は肺全体の肩のほうまでいっぱいに空気を入れるイメージ。
 吐いたときに縮こまってしまって姿勢が、息を吸っていくと同時にしだいに立ちあがっていく。最後は身体全体がまっすぐに立つ。
 肺にいっぱいに空気を入れたら、そこでいったん息を止めて、「いち、に、さん」と数える。
 そのあとはまた息を吐いていく。

2012年2月13日月曜日

2月13日

◎今日のテキスト

 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背廣をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに。
 ――萩原朔太郎『純情小曲集』より「旅上」

◎音読の呼吸「吐ききる」
「深呼吸しましょう」というとたいていの人はまず息を大きく吸ってから吐く。これもいいのだが、最初に息を吸ってしまうと、胸まわりに筋肉の緊張が生まれ、その緊張がさらに緊張を生み、深呼吸の目的である「リラックスする」ことを阻害する場合がある。
 それを防ぐには、最初に息を吐ききるところからスタートするとよい。
 呼吸というと、たいていの人はつい息を吸うほうを考えてしまうが、吐くほうをより意識するとリラックスできる。吐ききってしまったあとは意図的に吸わなくても、もとに戻ろうとする胸郭の働きで肺には自然に空気がはいってくる。
 まずは息を吐ききることの練習。ふうーっと口から音を出して全部息を吐ききる。全部吐ききったと思っても、かならず残っている息があるので、最後は「ふっ、ふっ、ふっ」と絞りきるようにして吐ききること。